2022年11月1日火曜日

変節なき変節、逸脱からの逸脱

 いやしくも今の時代で目立とうと思ったら、いやただ今の人の気に入るものを書こうと思っただけでも、ただまともというだけでは、けっして十分ではない。それなら、ベートーヴェンの生きていたことがまるでむだになってしまうではないか。 (中略)要するに、1790年のソナタ様式は、1840年のそれではない。形式と内容に対する要求はあらゆる点からみて高くなっているのである。(ロベルト・シューマン)

 「1840年のそれ」とはショパンの第2ソナタを指している。1790年は若かりし頃のベートーヴェンが第1ソナタに着手する前、モーツァルトとハイドンが晩年を過ごしている頃だが、単純に50年前のスタイルという意味だろう。今から50年前、1972年と言えば、札幌五輪、沖縄返還、あさま山荘、日中国交正常化、田中角栄内閣発足。初老と言われる年に差し掛かった僕にも記憶のない出来事ばかりだ。1ドルは301円だったらしい。

 この年に発表された歌謡曲なら僕にもわかる。小柳ルミ子『瀬戸の花嫁』、天地真理『ひとりじゃないの』、吉田拓郎『結婚しようよ』。いずれの歌も親しみやすくて良いメロディだが、YOASOBIの今日に書かれるかといえば、書かれない。50年前と今とでは時代が違う。服が違う、髪型が違う、食べ物が違う、物価が違う、金利が違う、紙幣のデザインが違う。人々の価値観が変化して、世に流通する言葉も変わる。この東京で、どこかの島に嫁ぐ想像は難しいけれど、渋谷の街であくびが出るのは良くわかる。

 1970年代の少年少女が抱いていたような花々しい想像上の21世紀は、疫病と戦争によって打ち砕かれた。末法の世である。これから先を想像するにも、あまり明るい材料がない。新しい時代がそれほど魅力的でもなくなってしまった。それでも否応なく時代はアップデートされる。どこかで折り合いをつけなければならない。

 われわれの時代は、ほとんど耐えがたいほど、仮借ない探究を永続してきている時代である。探究の異常な亢進のなかでは、一切の後退性が切り捨てられ、すべての聖域が禁じられる、こうした探究の情熱は伝染し、未知な事象に関する猛烈な関心によって、われわれは未来へと激しい力で投入される…巧緻な計略で、われわれは過去の世界を現在が要求するものに役立てようと必死の努力をはらい陶冶してきたが、もはや目下の絶対的部分になるものを求め、先例のない知覚を鍛えるために記憶のすべてを捨て、想像も及ばぬ領土を発見するために、過去の遺産を放棄するという本質的な試練を避けることはできない。(ピエール・ブーレーズ)

 IRCAM発足時の言を読むに、こんなにも素朴に未来を信じられるとはなんと素晴らしいことだろうと羨望の念を禁じ得ない。こうした未来観は古臭くて理想主義に過ぎると、当の未来に生きる僕たちは言わねばならない。が、抗いがたい甘美な響きがある。手塚治虫の描いた近未来の世界に入り込めるかのような、そんな甘美さだ。

 ところで、戦後前衛音楽の目指した理念とは結局何だったのだろうか。上に引用した文を読めば察せられ、それは初期ブーレーズがアルバン・ベルクを徹底的に非難した理由とも重なる。つまり、音楽からあらゆる前提を捨て去るということ。バッハのコラール『われ満ち足れり』を知らなければ『ヴァイオリン協奏曲』を吟味できないという、前提あるシチュエーションの排除。調性も一個の前提だから(しかも習得にはだいぶ骨の折れる前提だ)当然排除される。個々人の経験の違いによって音楽体験が変わることの否定。何の予備知識もなく理解される音楽。それは書き手の側にも適用される。基本的な楽譜の読み書きができ、パラメータさえ用意できれば、トータル・セリエリズムの音楽は誰にも書き得るし、究極的には誰が書いても同じ結果になる。新しい作曲技法で新規参入を促す。規制緩和である。

 ロマン派の崩壊は調性理論の崩壊などではなく、前提となるイディオムが増殖しすぎたことによる自重の崩壊だ。本当はウェーベルンもその前提のなかにいる。が、彼は、それらのイディオムを、ほとんど文脈が見えなくなるほどに切り詰めたから、後人に道を開き得た。複雑すぎる前提を一から覚えなくても良いのだから朗報だ。いっそのこと、フルクサスのスタイルのような言葉によるインストラクション形式の作品ならば、より簡単に作曲家の新規参入を促せる。楽譜の読み書きすら前提にされないという意味で規制緩和が徹底される。

 戦後前衛音楽の語をこれらだけに代表させるのは雑に過ぎるが、その理念が成就した極点として例に挙げた。例えば、赤瀬川原平の『反芸術アンパン』だったか、彼の作曲した『梱包』がカーネギーホールで演奏される一幕の記述があったと思う。この作品は舞台上で楽器が梱包される様子を鑑賞すれば良く、それ以上の解釈は要らない。書き手だけでなく、演奏者にも聴衆にも、あらゆる前提が必要とされない。誰が書き、誰が演奏し、誰が聴いても、同じ結果になるはずだ。素晴らしきかな戦後民主主義。音楽体験は貴賤高下の出自を問わず、能力の如何を問わず、平等に楽しめるものになったのである。

 が、GoogleやTwitterの今日のように、実際の運営というものは理念だけではどうにもならない場合がある。結局は政府の助けが必要であったり、時には大阪の文楽のように、権力相手に不要な戦いをしなければならなかったりする。いっそう根本的な変化は、時間の経過だ。「過去の遺産を放棄するという本質的な試練」そのものが「過去の遺産」となり、「先例のない知覚」として顕現された音響が「先例」として機能することである。

 大久保賢は『黄昏の調べ 現代音楽の行方(春秋社)』で、現代音楽は一種の古典芸能であると指摘したが、事実として、戦後前衛はすでに「過去の遺産」であり「先例」である。ひとつの前提である。愛好する新しい世代も現れる。演奏不可能な譜面を演奏してしまう者も現れる。その世代の再生産によって、仕方のないこととしてポップ化・エンタメ化は起きる。でなければ「新しい複雑性」の諸作などあり得ない。必ずしも真に先鋭的なものでなくとも「先鋭的らしく聴こえるもの」で条件を満たすようになり、「未聴感らしく聴こえるもの」という概念に対するおおよそのコンセンサスによって評価される。今日、現代音楽の作家たるには、結局のところ本人の才能・能力とイディオムの習得が必要であり、その「形式と内容に対する要求はあらゆる点からみて高くなっているのである。」

 とは言え、これは特に非難することでもない。愛好されるべき音楽のジャンルが増えるのは喜ばしいことだ。好きな音楽をやればよい。が、今日多種多様に分岐された種々の前衛技法は、大なり小なり、そのはじまりの遺伝子を継ぐ。つまり、誰にも平等に同等の音楽体験を与えるのが命題であったということ。その始まりにおいては誰もが理想主義に燃えていたから、音楽はわけのわからないエネルギーに満ちていて、それが何と言っても魅力だ。しかし究極のところでは、書き手と聴き手の人間としての均質さが暗に求められているとも言える点に、時代的・思想的な制約・限界を感じる。多様性の今日、作家の独自性・独創性を担保するには、理念・理想から適度な距離を取り、前提となるイディオムを増殖させ続けなくてはならない。無論それは一つの道だ。それならそうと、結局は伝統主義的な仕草が避けられない事実を受け止め、前提を捨てるという前提を捨て去り、新しさに淫せず、上質な現在を築くべく腹を括ったほうが潔い。戦後前衛のもっとも肝心なところ…人々や未来を素朴に信じる甘美な理想主義そのものを受け継ぎたいなら、やはり「過去の遺産を放棄するという本質的な試練」もまた、新たに起こらねばならないだろう。

 現代音楽が藝術であり、藝術でありうることを誰も知らないということがよくある。現代音楽は苛立たしいと思っているのだ。それはつまり固定化を免れているということだ。こうした観点では何でもありになってしまうという反論がある。実のところ何でもありなのだ。無を規範とした場合に限っては。(ジョン・ケージ)

 自分の話をしよう。幼少期の音楽教育をまったく受けたことがないという意味で、僕は前提のない子だった。夏の夜にはムカデが迷い込む家賃5,000円の貧乏長屋に住んでいたから、中学で吹奏楽部に入るまで生の楽器を見たことがなかった。そんな環境で、どういうわけかアイヴズの第4交響曲を聴き、愚かにも作曲家に憧れ、何を血迷ったか音大に進路を定めた。15歳だった。急いで駆け込んだ近所のピアノ教師にはまともに相手にされなかったけれども、高校の2年間で芸大和声3巻本をこなし、作曲科に行った。前時代であれば入口にすら立てなかった環境の子であるから、戦後民主主義には感謝している。が、当時はそれをありがたくも思わず、ほとんどの時間を食堂で過ごし、山のように与えられる和声課題は先生の好きそうな噂話をしてごまかし、同級生の下宿先では真夜中までフリー・インプロヴィゼーションに興じ、玄関を蹴られ、図書館ではグリゼーのヴィオラ独奏曲『プロローグ』やラッヘンマンのクラリネット協奏曲『アッカント』の楽譜などを借りて読んだ。ショパンやリストしか弾かないピアノ科の学生たちなど心底見下していた。逸脱した学生生活である。

 そんなある日、とあるチェリストの演奏会へ譜めくりのバイトに行った。ベートーヴェンのチェロ・ソナタだった。第4ソナタの最後、快活なハ長調の途中で奇妙な空虚5度が差し込まれる。これに僕は頭を抱えてしまった。ベートーヴェンなんて「過去の遺産」だと思っていたから、それまでせいぜい交響曲くらいしか聴かず、それを大して面白いとも思わず、楽譜といえば受験曲に選んだテンペスト・ソナタくらいしか読んだことが無かった。まったく前提のない若造だったから、第4チェロ・ソナタの空虚5度が、語の全き意味での「未聴感」として機能してしまった。マウスピースを外したクラリネットのブレス・ノイズよりも斬新に響いてしまった。我が人生と定めたはずの現代音楽からも逸脱しようとしていた。

 とは言え、すぐさま作風を変えたわけではない。そんな勇気はとても無かった。が、例えば特殊奏法にしても、音は鳴っても楽器が鳴らず、ミキサーを通した録音では効果的でもホールでは同様の効果が必ずしも得られるとは限らないことを学び、次第に避けるようになった。演奏者の勝手にされるのが結局は気に食わず不確定要素を嫌うようになった。部分的な効果音にしかならない要素を無駄に感じるようになり、聴かせたい部分を聴かせるためにシンプルな素材を選ぶようになった。「過去の遺産を放棄する」という「過去の遺産」を「放棄」し、件の空虚5度で得た「未聴感」の神秘を古典の手法中に探し、そうして逸脱に逸脱を重ねた結果、今や僕は、「この作曲家はミヨーすら勉強していないように見受けられる」と悪態をつかれるほどの、立派な懐古主義者と変節したわけである。

 最近の東京の街角では、少々レトロな色合いの赤い唇をした若い女の子とすれ違う。僕のような世代にとっては少々古臭いようにも感じるのだが、彼女たちにとっては新鮮だ。しかし彼女たちのメイクやファッションが往時とまったく同じかと言えば、もちろん違う。10年代の残り香もあり、まったく新しい工夫もある。時計は巻き戻らないし、覆水は盆に返らない。18・19世紀はすでに遠く、王侯貴族はいないし、阿片は吸わないし、ウィッグはかぶらない。たとえハイドンやモーツァルトを参照するとしても、その聴取体験が19世紀末・20世紀初頭の解釈か、それとも古楽の解釈かによって事情が変わる。後ろ向きの古典主義者として断言するが、そもそも伝統回帰など不可能だ。帰る場所などないのである。

 自作のリハーサルの際、必ずと言って良いほど「本当に合っている音なのかどうかが分からない」と演奏家から尋ねられる。古典派・ロマン派の名曲という名曲をそれこそ何千何万と演奏してきた皆さんだから、身に覚えのない箇所、見慣れない箇所があるのである。そういう箇所こそ、僕が何かしらかの現代音楽作品から得た教訓を無意識のうちに(ときに意識的に)落とし込んでいる部分、調性音楽としては逸脱している部分なのだが、本番を迎える頃にはすっかり磨かれてしまって、本当に誰も気づかない。「譜読みが大変なのに練習するほど普通に聴こえるからコスパが悪い」と、時に愚痴られることもあるけれど、それはご容赦願いたい。少なくとも、僕は自分の経験から、遺伝子は伝えるだけでなく組み替えることも出来るのだと言うことができる。これも一つの道だが唯一の道ではない。実にたくさんの進むべき道がある。でも、人生は短い。進まねばならない道は一つしか選べない。

 このように、僕は逸脱に逸脱を重ねてきたし、ここに記したようなことからもすでに逸脱している気がする。蓋棺事定というが、死後の評価を期待するのでなく、この先どうなるか自分でもよく分からないのだ。突然踵を返すかもしれない。戦後前衛に「伝統回帰」するかもしれない。あまのじゃくということもあるけれど、何より固定化を嫌うのが実験主義者の性根というものだから。そうして今後も逸脱を重ねてしまうだろうにしても、人の道からは逸脱することのないよう心したい。

2022年10月13日木曜日

プログラムノート/西澤健一 協奏曲作品の夕べ

※配信でご覧の皆様のために、プログラムノートを公開いたします。


◎西澤健一 協奏曲作品の夕べ

2022年10月13日(木)19:00開演(18:00開場)

めぐろパーシモンホール 大ホール

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◆プログラムノート - 西澤健一

・ヴァイオリンと管弦楽のための幻想曲

 2013年、『交響曲第一番』を発表した直後に着手。演奏される予定があったからこそ書き始めたものの、残念ながら、書いている最中にその話がなくなった。完成した作品は、2022年6月、澤田智恵氏のヴァイオリンと私自身のピアノで、リダクション譜による初演を行うまで、ハードドライブのなかに眠ったままだった。

 その初演を終えて、とあるご婦人から頂いた感想を私はとても気に入っている。曰く、「ある孤独な若者が薄暗い森を歩き、山を登り、その先で哲人に出会い、静かな満足を得て山を下っていく。そんな情景のようだ」…哲人の存在を想像してはいなかったが、元々の“演奏される予定”で設定されていたテーマは「自然」であり、「山」だった(のを、ご婦人のお話でようやく自分でも思い出した。)伝えるべきことを伝えられたことに私は静かな満足を得ている。最高の共演者を得て、今公演が原作の初演となる。

・オーボエと弦楽合奏のための協奏曲

 クリストフ・ハルトマン氏とは2015年作曲の『オーボエ・ソナタ』以来の付き合いであるが、2018年2月、日本ダブルリード株式会社創立50周年記念コンサートの席で再会した氏から、協奏曲を書く気はないかと尋ねられた。彼によれば、それは弦楽合奏で、かつ、そのままの楽譜で弦楽四重奏でも演奏できるように書かれたものが望ましいとのことだった。私好みで演奏家らしいプラクティカルなアイデアである。いずれ必ず、と約束した。

 オペラの仕事を終え、ようやく作曲に着手しようとした矢先の2020年2月、父が倒れ、コロナ禍がやってきた。緊急事態宣言が発出された同年4月、がら空きの電車に乗って、面会できない父に入れ歯の洗浄剤などを届け、社会的にも個人的にも先行きのわからない状況にうろたえる母を電話口でなだめながら、楽譜を埋めた。

 全体的におだやかな楽想が支配的な作品となった。モデラートの第一楽章、アンダンテの第二楽章、快活なアレグロの第三楽章も最後は速度を落とし、長調に転じた第一楽章の素材を回想してしずかに締めくくられる。ちなみに(これは少々出来過ぎた話のように私自身も感じるので書くのをためらうが)父が死んだのは、この作品の最後の音を書き終えたその日、5月16日のことだった。

 2020年中の初演を試みたが、厳しい入国制限が布かれていた当時は、国を跨いでの公演が難しかった。ようやく初演できることが、素直に嬉しい。

・2つのヴァイオリンのための協奏曲

 昨年末から年始にかけて、日本ウクライナ芸術協会を主宰する澤田智恵氏から作曲の相談を受けた。曰く、日本とウクライナの国交樹立30周年を記念する同協会主催コンサートのために、2つのヴァイオリンのための協奏曲を書いてくれないか。もし可能なら、10月頃を予定しているウクライナ初演で指揮も振ってくれると嬉しい、とのこと。彼女とともにソリストを務めるオレグ・クリサ氏が私の作品(本日一曲目に演奏する『幻想曲』である)を高く評価してくれているとの話も伝わってきた。

 光栄なことであるし、行くとなれば初めての東欧である。どこを観光しようかしら、ごはんは美味しいかしら、お酒はたくさん飲めるのかしら。祝祭的な音楽を耳のなかで聴きながら、そんなことを暢気に考えていた。「武力の脅威、不信、心理的・イデオロギー的な闘争は、もはや過去のものになった(ミハイル・ゴルバチョフ)」という前世紀末の輝かしい宣言が脆くも崩れたのは、それから間もなくのことだった。

 ブチャをはじめとする各地の悲惨さを伝える報道を目にしたあとでは、どんな楽想にも説得力を感じることができず、しばらく筆が進まなかった。が、ウクライナ出身の友人が東京のライブイベントで演じたパフォーマンスが私にインスピレーションを与えてくれた。彼女は大音量の『Bind, Torture, Kill』(=拘束・拷問・殺害。ベルギーのインダストリアルバンドSuicide Commandoの作品)をBGMに一個の死体を演じたが、それを観ながら、私の耳にはまったく違う種類の音楽が鳴りはじめたのだった。拘束され、拷問され、殺害された人々に対して、私は結局なにもできない。せめて彼らと同じ側に立ち、彼らを弔い、彼らを忘れないと誓うしかない。第一楽章で、私は私にできることをした。

 第二楽章は、今年4月に作曲した『ウクライナ民話「空とぶ船とゆかいななかま」朗読のための音楽』からの引用で、撒くとたちまち霜が降りる藁束を扱う男のメロディである。物語ではひとりの奇人として描かれる彼を、私は、冬をつかさどる精霊と捉えた。中間部には『空とぶ船』と同時に作曲した『ウクライナ民話「てぶくろ」朗読のための音楽』の主要主題を配し、冬将軍に守られる者たちを二つの民話を繋いで描いた。

 第三楽章はパッサカリアの序奏とアレグロの主部からなる。パッサカリアは、とあるウクライナのポップソングから採取した低音を用いている。(まったく違う展開を与えたので、もちろん表面上は原型を留めていない。)主部はクリミアタタールの民族音楽から受けた印象を、日本の響きを交えつつ展開させた。

・2台ピアノのための協奏曲

 この作品は、『2つのヴァイオリンのための協奏曲』と双子の関係にある。2つの同楽器のための協奏曲というフォルムの意味でもそうであるし、ほぼ同時に着手したという意味でもそうである。素材の意味でも双子と言える。第2楽章と第4楽章には先述の『てぶくろ』『空とぶ船』からの引用がある。これら朗読のための音楽は、そもそもウクライナ支援のチャリティ公演のために書いたもので、今年4月28日に武松洋子氏の朗読、澤田智恵氏のヴァイオリンと私自身のピアノで披露した。ただただ森の動物たちが集まるような、平和で平穏な世界観から受け取ったものが両作品の根にあるのは間違いない。

 唯一の違いは性格の違いだ。『2つのヴァイオリンのための協奏曲』が、侵攻に苦しむ現実世界のウクライナに寄り添う作品であるのに対し、『2台ピアノのための協奏曲』は、もし侵略がなかったらどんな祝典曲を書いてお祝いしていたかを書いたものだ。今年の年始に、食事や酒を妄想しながら耳の内に聴いていた祝祭的な嬉遊曲である。そうした種類の幸せは、自由で民主的な未来が確保されたうえで、ふたたび味わわれなければならない。

 堂々として華やかなソナタ形式の第一楽章。第二楽章はスケルツォ風の三部形式。情熱的な主部と、『てぶくろ』の小動物たちと『空とぶ船』の間抜けが優しくたわむれる中間部。第三楽章はゆるやかな二部形式の緩徐楽章。リリカルに歌われる第一部と、主題が熱を帯びながらゆるゆると崩壊していく第二部。 

 第四楽章はロンドソナタ風だが、15回繰り返される(ときにフーガにもなる)冒頭の畳句、2回ずつ現れる嬉遊句と『空とぶ船』のメロディは、現れるたびに12の異なる調へと移される。ちなみに、最後には高らかに歌われる民話のメロディは、40樽の葡萄酒をたった一口で飲み干してしまう男を表現したものだ。

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◆プロフィール

西澤健一

国立音楽大学を一年半で中退し、以後独学で研鑽を積む。室内楽から交響曲、自身の台本によるオペラに至るまで幅広いジャンルで100曲以上の作品を発表。2001年にブリュッセルで開催された個展以降、楽壇からは超然としながらも、国内外の著名な演奏家たちが惜しみなく称賛する気鋭。「瞑想の形式のなかで文学を演じている」(ダス・オルケスター誌)「簡素な透明性に満ち、エネルギッシュで崇高な内容を持つ西澤の音楽は、まず第一に人間であることに感動する側に立って語り掛ける音楽を味わうという喜びを、われわれに取り戻してくれる」(メキシコ・シナロワ紙)繊細な音色が持ち味のピアニストとしても活動するほか、舞台・映像作品に揮毫を寄せたり、文筆でも賞歴を得るなど、多様な才能を誇る。

オレグ・クリサ

ダヴィド・オイストラフの高弟にして、ウクライナが誇るヴァイオリン界の重鎮。パガニーニ国際コンクール優勝、上位入賞多数。著名な指揮者らと世界各都市主要オーケストラと共演。2019年第3回クリサ国際コンクール開催。「Musician of the First Rank」(N.Y.タイムズ紙)

クリストフ・ハルトマン

1992年よりベルリン・フィルハーモニー管弦楽団オーボエ奏者として活動する傍ら、同楽団アカデミーをはじめ世界各地で後進指導にあたるオーボエの伝道師。ソロ、室内楽の分野でも積極的に活動。アンサンブル・ベルリン創設メンバー。

澤田智恵

ロシア国立グネーシン音楽院学士修士、パリエコールノルマル卒。オレグ・クリサと各国で、ウクライナ国立管弦楽団、室内楽団と共演、録音。「多彩な美しい音色と情熱の個性」(O.クリサ)。2018年日本ウクライナ芸術協会設立、代表就任。芸術国際交流公演、チャリティ公演等主催。

花房晴美

「巨匠ピアニスト名鑑のHの項に、クララ・ハスキル、ウラディーミル・ホロヴィッツに並んで、いずれ花房晴美の名が刻まれるであろう」( ハイファイステレオ誌)華麗な演奏が魅力の、日本を代表するピアニストの一人。国内はもとより、海外のオーケストラとの共演を重ねるなど、国際的にも高く評価されている。

花房真美

国立音楽大学付属高校、国立音楽大学を経て、同大学大学院修士課程修了。1982年草月ホールのリサイタルを皮切りに数多くの演奏会に出演。1992年から実姉花房晴美と「花房シスターズ・ピアノデュオ」の本格的な活動をスタートさせ、各地でリサイタルを行い絶賛を博す。

Program Introduction/Kenichi Nishizawa Concerti Concert

Kenichi nishizawa Concerti Concert 

Oct. 13 2022 (Thu.)  Start 18:30 JST (10:00 UTC)

Meguro Persimmon Hall - Main Hall

"Concerto for Oboe and Strings" was composed in May 2020, however its premiere was canceled due to the covid-19. "Concerto for Two Violins" was supposed to be premiered in Kyiv in autumn of this year to celebrate the 30th anniversary of the establishment of diplomatic relations between Japan and Ukraine. Together with these 2 compositions the aspiring Kenichi Nishizawa wrote "Concerto for Two Pianos" for this specific concert. The program was influenced by these chaotic times and will be conducted by the composer himself, and the solo parts will be performed by world-renowned maestros. 


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Program Introduction - Kenichi Nishizawa

Fantasy for Violin and Orchestra op.84 (2013)

I started working on this piece in 2013, right after the release of my "Symphony No. 1". I started writing it because it was scheduled to be performed that year, but unfortunately  while I was writing it, the project was canceled. The completed work remained on hold on one of my hard disk drives until June 2022, when I premiered it as a piano-reduction version with Chie Sawada on violin and myself on piano.

After that first performance, a lady gave me a very appreciated comment. She said she got the following impression while listening, "A lonely young man walks through a dimly lit forest, climbs a mountain, meets a philosopher, and descends the mountain quietly satisfied”. I had not imagined “the philosopher” myself, but after what she said, I remembered that the theme was originally planned to be "nature" and "mountains". I am quietly satisfied that I was able to convey that with this piece. Now, with the best co-stars I could ever dream of, for the first time it will be performed in its original state.


Concerto for Oboe and String orchestra op.110 (2020)

I have known Christoph Hartmann since my "Oboe Sonata" composed in 2015. We met  again in February 2018 at the 50th anniversary concert of Japan Double-Reed Inc., where he asked me if I was interested in writing a concerto. He told me it should be for a string ensemble and written in such a way that it could be played by a string quartet too using the same score. This very practical idea, given by him from a performer's point of view, was to my liking. I promised him that I would eventually do it.

In February 2020, just as I was about to finish my opera work and finally begin composing music again, my father collapsed and the world was struck with Covid-19. In April of the same year, when the state of emergency was declared, I rode an empty train to deliver  supplies to my father, but I was unable to visit him. I progressively wrote the scores while soothing my mother over the phone, who was distraught over the uncertain social and personal conditions.

Overall, the work is dominated by gentle musicality. The moderato first movement, the andante second movement. Continuing with the lively allegro third movement which slows down at the end. Followed by recalling the material of the first movement, now portrayed in a major key which all comes to a peaceful end. I hesitated to write this since it is a bit too overwhelming. Because, on a sad note, my father died on May 16th and that was the same day I finished the last note of this piece. 

We attempted to stage a performance in 2020, but it was difficult to perform overseas at the time because of the strict immigration restrictions. I am honestly happy that we are finally able to perform it for the first time.


Concerto for 2 Violins and Orchestra op.120 (2022)

Toward the end of last year into the beginning of this year, I was asked by Chie Sawada, who presides over the Japan-Ukraine Art Association, to compose a piece for her. She asked me to write a concerto for two violins for a concert organized by the association to commemorate the 30th anniversary of the establishment of diplomatic relations between Japan and Ukraine. She also asked if I could conduct the premiere in Ukraine in person, which was scheduled for October this year. I was also informed that Oleh Krysa, who will be the soloist with her, spoke highly of my work "Fantasy", (which is the first piece to be performed today).

It would have been an honor to go and it would be my first time in Eastern Europe. I wondered where to go sightseeing, if the food would be good, and if I could drink a lot of alcohol. I was thinking carefreely about all these things while listening to festive music in my ears. Just before it all came crashing down, last century’s declaration of Mikhail Gorbachev came to mind "The threat of force, mistrust, psychological and ideological struggle should all be things of the past.” 

After seeing news reports of the misery in Bucha and other parts of the world, I could not find any convincing musical ideas and for a while I could not write anything. However, I was reinspired by a performance by a friend of mine from Ukraine at a live event in Tokyo. She acted as a corpse while loud music shouted, "Bind, Torture, Kill" (by the Belgian industrial band Suicide Commando), and as I watched, a completely different genre of music started playing in my ears. In the end, I can not do anything for the people who are being bound, tortured, and killed. I can only stand with them, mourn them, and vow to never forget them. In the first movement of the song I do just that. 

The theme of the second movement is taken from "Music for Reading Performance of the Ukrainian Folktale - The Fool of the World and the Flying Ship'' composed in April of this year, and is a melody about a man who handles a bundle of straw that immediately turns frosty when it scatters. In the story, he is portrayed as an eccentric man, but I see him as a winter spirit. For the middle part, I use the main theme from "Music for Reading Performance of the Ukrainian Folktale - The Mitten" which I composed at the same time as "The Flying Ship", and I am connecting the two folk tales by depicting those who are protected by the General Frost character (winter spirit).

The third movement consists of a passacaglia introduction and an allegro main part. The passacaglia is a bass note taken from a certain Ukrainian popular song. But it does not retain its original form since I gave it a completely different development progression. The main part is developed by the impression I received from Crimean Tatars’ folk music, which I mixed with typical Japanese sounds. 


Concerto for 2 Pianos and Orchestra op.119 (2022)

This work is a twin piece to "Concerto for Two Violins," both in the sense of form as a concerto for two identical instruments and in the sense that they were being written almost simultaneously. They are also twins in the sense of resources. The second and fourth movements contain quotations from "The Mitten" and "The Flying Ship" mentioned above. The music for these readings was originally written for a charity performance in support of Ukraine, and was performed on April 28 this year with readings by Yoko Takematsu, Chie Sawada on violin, and myself on piano. There is no doubt that both these concertos were rooted in what I received from the peaceful and serene worldview of animals gathering and warming up in a winter forest from the folktales.

The only difference between these two pieces is their personalities. Whereas "Concerto for Two Violins" is a work that accompanies Ukraine in the real world suffering from the invasion, "Concerto for Two Pianos" is a piece about what kind of festive music I would have written to celebrate if there had been no invasion. It is the kind of festive divertimento that I listened to at the beginning of this year while fantasizing about Ukrainian food and drinks. I would like that kind of happiness to be experienced again after a free and democratic future is secured.

The first movement is a grand imposing sonata form. The second movement is a scherzo-like ternary form, with passionate main parts and a middle part in which the small animals from "The Mitten" and the fool from “The Flying Ship" gently frolic. The third movement is a slow movement in a gentle binary form, where the first part has a lyrically sung theme, which slowly disintegrates as it heats up in the second part.

The fourth movement is in the style of a rondo sonata. The opening phrase is repeated 15 times throughout the piece (sometimes as a fugue). The piece also uses episodes and the melody from “The Flying Ship” twice. Each time either of these parts or the opening phrase recurs, the key is shifted, to a total of 12 times. Incidentally, the folk tale melody sung in high spirits at the end represents a man who drinks up 40 barrels of wine in a single gulp.


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Kenichi Nishizawa (Comp & Cond.) 

After a year and a half he dropped out of Kunitachi College of Music. Ever since, he has been self-taught and has produced more than 100 works in a wide range of genres, from chamber music to symphonic works and operas using his own scripts. Since his solo exhibition in Brussels in 2001, he has been a figure in the world of music, but has been praised by many renowned performers both in Japan and abroad. "He performs literature in a meditative form" (Das Orkestar).  "Nishizawa's music, with its simple clarity, energetic and sublime content, brings us back to the joy of savoring music that speaks to us from the moving side of being human first and foremost" (Mexican newspaper). In addition to being a pianist with a delicate sound, Nishizawa's diverse talents include calligraphy for stage and film productions and receiving awards for one of his essays.

Oleh Krysa (Vln.)

A leading disciple of David Oistrakh, he is the pride of Ukraine and a leading figure in the world of violin. Winner of the Paganini International Competition and many other top prizes. He has performed with renowned conductors and major orchestras in various cities around the world, and held the 3rd Krysa International Competition in 2019. "Musician of the First Rank" (N.Y. Times).

Christoph Hartmann (Ob.)

Since 1992, he has been active as an oboe player with the Berlin Philharmonic Orchestra and he teaches at the Karajan Academy and other venues around the world. He is also active as a soloist and chamber musician. He is a founding member of Ensemble Berlin.

Chie Sawada (Vln.)

She holds a Bachelor's and Master's degree from the Gnessin State Musical College in Russia, and a graduate of the École Normale de Musique de Paris. Performed and recorded in various countries with Oleh Krysa and with the Ukrainian National Orchestra and Chamber Orchestra. In 2018, she founded the Japan-Ukraine Art Association and became its representative. She is the organizer of international artistic exchange performances, charity performances, etc.

Harumi Hanafusa (Pno.)

"Harumi Hanafusa's name would be inscribed in the "H" section of the "Master Pianist Directory" along with Clara Haskil and Vladimir Horowitz" (Hi-Fi Stereo Magazine). She is one of Japan's leading pianists, Hanafusa is known for her brilliant playing. She is highly acclaimed both domestically and internationally, performing with orchestras in many countries.

Mami Hanafusa (Pno.)

She completed her master's degree at Kunitachi College of Music, and performed in many concerts, starting with a recital at Sogetsu Hall in 1982. In 1992, she started the "Hanafusa Sisters Piano Duo" with her own sister Harumi Hanafusa, and they have given recitals in various places to great acclaim.

2022年8月7日日曜日

根エも葉アもない幻-オペラ「卍」に書いたこと

 オペラ『卍』について、台本を書く際、僕は作中で実際に行われている会話のみを用いて組み立てることを基本的なコンセプトとした。これを、心理戦に欠くと不服に思われた向きがあったようだ。たしかに、僕の台本では「わたしこないだから大変失礼してました」のような他愛もない挨拶が表に立っており、綿貫に至っては「僕は綿貫いうもんです」「綿貫いう男は僕です」と自己紹介ばかりしている。作中の会話が使えない部分、すなわち物語を補足した部分であっても、「阪神電車で梅田まで」であるとか、「観音さん描いてるのんやけど」といった、作中で実際に起きている事象の提示に徹した。唯一、園子が声には出していない声を歌う場面が第二幕にあるが、それも、「どこまで厚かましいねん」以降、園子から見える光子と綿貫の状況を説明しているだけである。

 つまり、僕は登場人物に自分の心情をほとんど歌わせなかったわけであるから、心理戦を省いたと思われるのももっともなこととは言える。

 原作には、あくまで園子が「先生」に語っている物語であるという前提がある。秘密の守られた2人きりというプライベートな空間が前提としてあるから、園子が自分自身の心に触れても問題ない。が、舞台化において、その設定をすべての場面に用いることはできない。しかも園子以外の三人の心理は結局園子の想像でしかないというのも、また、本作の大前提である。原作に忠実であろうとすればするほど、園子の妄想する光子や孝太郎の心理を、本人の口を動かして語らせるわけにはいかない。であるから、新聞記事を書くような真面目さで、作中で確実に起きている事件、確実に人物が発した言葉を検証し、ひとつひとつ積み重ねていくことを基本的なコンセプトとしたのである。

 それでも十分だと僕が確信するのは、誰が誰に向かって、どういうシチュエーションで、どういうイントネーションで発せられる言葉なのかが音程化できれば、恋をしているのか、尊敬しているのか、それとも怪しんでいるのか、あるいは憎んでいるのかは自ずと伝わるものだというオペラ作家の先達ヤナーチェクの教訓を深く信頼するからで、だからこそ、翻訳なしでも外国語のオペラアリアに涙するようなことは起こり得るのだ。作曲家がオペラにおいてなすべきたったひとつの仕事は、登場人物の関係性を示す音程の組織化である。

 そして、大阪ことばのアクセントやイントネーションを音程化するのに日本的な音程が実に便利な道具であればこそ(部分的ではなく)全編にわたって歌い手にそれを宛がったのである。念のため申し上げれば、僕は「日本伝統音階」なるものはそもそも存在しないと考える立場であって、解説では小泉文夫と柴田南雄という名を挙げ「日本的な音程」という言葉で書き示した。音程を取り出して下から順に並べてペンタトニックだとは考え方の順序が違う、というような記述が、柴田の著書『音楽の骸骨のはなし』にもあったはずだ。

* * *

 さて、作中の例を挙げる。第二幕、光子が妊娠しているとは初耳だと園子が言う。それに対し、綿貫は「初耳」と驚く。彼は無論驚いてなどいない。園子の返答は彼にとって織り込み済みで、わざとらしく驚いて見せ、周囲にも(先日の演出の場合なら「梅にも」)聞こえるように園子の言葉を繰り返しているのである。狙ったとおりの返答を導き出せた邪悪な悦びだ。そして畳みかけるわけである。「なんで隠すんでしょう、ああ、お姉さんに嫌われる思て嘘を吐いてるのんと違いますか?」…この「ああ、」など、どこまでもわざとらしく演技掛かっていなければ、隠し通せない悦びがなければ、二人の関係は明確にならない。

 僕はこれをおめでたいお正月のような音程で書いたわけだが、内容と音階(僕は音程と言う)の不一致と見た評者は、きっと上質な生活を送ってこられ、おそらくゆすりやたかりの類に遭遇したことが無いのであろう。羨ましい限りである。

 綿貫は(原作に忠実になれば自然とそうなるのだが)他人の心に土足で踏み込む作中唯一の人物であって、ただ綿貫のみが、園子や光子の心理を勝手に覗き込み、勝手に分析し、他人のプライバシーというものの領域を勝手に破る。その結果としての新聞騒ぎだ。性欲の話を心の問題で上書きして、根も葉もない幻を現実と信じ込ませ、ゆすり、たかる。ある意味ではもっとも良く相手のことを考えている人であり、相手に合わせて生きている人である。確立された自己が無い劣等感の跳ね返りで、自分は特別な存在だと思い込んでいる平凡な人特有の暴力性は、現実と空想とがない交ぜになった妄言で表現される。

 柿内夫妻(評者の「垣内」は誤植)は本来、良くも悪くも自分は自分と考える人たちで、世界標準の、近代的に教育され自立した自由主義的個人である。ゆえに(変な言い方だが)第一幕は平凡な三角関係で済んでいる。つまり、平凡な性欲と、平凡な嫉妬だ。園子と孝太郎は第一幕の終わりのように平凡な喧嘩をして、平凡な離婚をすれば良かった。その三人が心の問題に汚染されるとどうなるかが第三幕であって、園子のような浮世離れした人など、特に、綿貫的な妄言に対する免疫がない。三人は三人で仲良くするという薄気味の悪い大義を掲げるようになり、その実、常に相手の心理を邪推し合う関係に陥る。「綿貫に似てきた」のである。原作を構成する要素は様々あるが、僕は何よりも、ここを重視した。「まったく今日の話として通ずる主題と信じる」と書いたのは、この意味だ。

 原作で「心」ないしは「心理」という単語が、どのタイミングから、どのような用法で使われ始めるのかを探してみると納得していただけるだろう。性欲のように具体的な感情でなく、妄想上の相手の心理のような、不確かなものを行動の軸とすることで、人物の行動にどのような変容が生じたのかが見える。そして、そんな不確かなものを無条件に良いものと捉え、道徳として従うよう同調圧力のかかるのが今日の社会であって、軍事の話を心の問題に上書きした大日本帝国のように、それは必滅の道なのである。

 ゆえに、僕が書いたのは「日本」ではない。古き良きイノセントな「日本」ではない。そんなものを懐かしむ仕草など原作のどこにも書かれていない。最後の観音経以外、書かれていないものは足していない。原作に描かれているのは今日の社会である。生きる勇気だの嫌われる勇気だの人を操る最強の心理術だのという本ばかりが刷られ売られていく今日の社会、妖怪だのパワースポット廻りだのスピリチュアルなもので行政が商売を始める今日の社会、「西澤健一は恐ろしく〈正直〉なのだろう」などという僕の内面を勝手に想像して恥じない評を書く今日の社会、男子に劣情を催させる不道徳な髪型とポニーテールを断じる今日の社会、凶悪犯罪を加害者個人の心の問題で片づけてきた今日の社会、教育を受けた個人がオカルトに染まりカルト化していく今日の社会、愛国心を煽る今日の社会、昨日から続く今日の社会である。同性愛をもって変態性欲だのとは今日日(日本のような遅れた国を除いて)主題にならないし、愛欲は人間を形作る要素の一つに過ぎないが、心の問題を公の場で沙汰する気持ち悪さは、今日の劇場で今日の聴衆と分かち合うべき主題となり得る。

 オペラは初めてだという友人から、しみじみと「綿貫がマジで気持ち悪かった」という感想をもらった。最高の誉め言葉で嬉しかった。気持ち悪く見えるはずなのである。

* * *

 感想のなかには「悪人の光子が最後は仏になるのは納得できない」といった意見もあった。「善人なおもて往生を遂ぐ、況んや悪人をや」であるとか「わが機の信不信、浄不浄、有罪無罪を論ぜず」といった750年前から850年前の智慧を繰り返せば、人間の仏性はその人の行いの善悪とは無関係だから光子は成仏するのだ。思うに、善い行いを積み重ねても良い人でしかないし、悪い行いを積み重ねても、結局悪い人でしかない。良い人も悪い人も、言うなれば平凡な凡夫であって、凡夫に仏性は無い。

 光子が成仏するのは、彼女が美しいからでもない。彼女は美しかったおかげで美しい仏になったが、彼女もやはり、人よりかは美しい平凡な人でしかない。彼女は今際の際でまったくこの世を忘れ去ったから仏になった。彼女一人だけが、脇仏になるだの、焼きもち焼かずに三人仲良くなりたいだのと祈っていないのだ。とても地獄は一定すみかぞかしと打っ棄って、もはや園子や孝太郎のことさえ、ある意味どうでも良くなった。手段こそ最悪であるが、ともあれ、心の問題から自由になった。生来・本有の彼女に戻ったとも言える。

 僕たち音楽家の場合、ここはフォルテ、ここはクレッシェンド、ここからリタルダンドをかけて、ここでテンポに戻るなどと、聴衆の前でそれらを積み重ねて突き抜けた演奏になるかといえば、ならない。そういったものをすべて忘れ去ったとき、舞台の上でひとつの空白となったとき、実力の有無、名声の有無を問わず、神々しい演奏になる。聴衆の集中力を一身に浴びる。幸せな音楽家なら一度は味わう忘れがたい経験だ。それならばと、邪念を捨てよう捨てようと思って捨てられるものかと言えば、うまくは捨てられないものだ。成仏や往生を、僕はそれと似たようなものと思っている。

 もっとも、正しい行いと正しい信仰で天国に行けると信じて身を律するのも悪いこととは言えないかもしれない。僕たち音楽家も、練習の段階ではフォルテだのクレッシェンドだのをひとつひとつ積み重ねる以外にない。が、自己啓発本の教え通りに「ついてる」と一日1,000回唱えるといったような、強迫的な射幸心に誰もが汚染されている今日の社会では、なかなか納得されづらい表現だったのかもしれない。

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 光子だけが燦然とした仏身になり、脇仏になれず無様に行き倒れている孝太郎の画を稽古ではじめて見たとき、どうして僕は何の説明もしなかったのに、しかも僕には想像できない形でこれを実現してくれたものかと、三浦安浩氏の演出にしたたか感動した。そして本番で、演者が、オーケストラのひとりひとりが、どういう集中力を僕に向けてくれたのかを僕は全身に浴びている。こんな野暮な解説をせずとも、僕の意図を僕よりも深いところで、音によって汲み取ってくれた皆様には感謝の言葉も見つけられない。

 一方で、僕がワーグナーを心底嫌っているように(僕の場合、おそらく同族嫌悪だ)残念ながら僕の音楽とは肌の合わない方がおられることも僕は良く知っている。仕方のないことではないか。であるなら、自分の心を欺くことなく、何の遠慮もなく、矢代秋雄のジョリヴェ評のように「まず私は西澤の顔が嫌いだ」と、言うてくれてもええんやで。

2022年3月6日日曜日

修羅の妄執-ウクライナ侵攻

 一気に全人類を救済しようと努めてはいけない。まず、せめて一人の人間でも救うように試みなさい。これははるかに困難なことだ。ほかの人を傷つけないようにして一人の人間を助けるというのは、たいへんむずかしいことである。信じられないほどむずかしい。それだからこそ、全人類を同時に救済したいという誘惑が出現するのである。だが、それにもかかわらず、その誘惑に乗ると、必然的に、人類の幸福のためには、少なくとも数億の人間を抹殺しなければならなくなる。もちろん、ばかばかしいことである。(『ショスタコーヴィチの証言』ソロモン・ヴォルコフ編/水野忠夫訳 1986・中公文庫)

 もはや「偽書」として、読む人も少なくなったかもしれない。ショスタコーヴィチその人を研究するには役に立たないものになったかもしれない。が、それでも、若い時分に読んだこの本には、僕にとって大切な言葉が沢山あった。例えば「作曲家たるもの、せめて楽器のひとつは完璧に弾きこなせなければならない。ピアノでも、ヴァイオリンでも、(略)なんでもよい。それこそトライアングルだってかまわない」などは、あたかも自分で考えたことのように生徒に伝えたりもする。上に引いたような一文は僕の行動の規範にもなっている。実際、一人の人間を助けるというのは信じられないほど難しいことだ。この言葉をなぞって口にする資格が、僕にはいくらかあるのではないかと思っている。

 本書には、スターリン時代におけるウクライナの吟遊詩人たちの処遇に関する記述もあった。街をうろうろ歩きながら、検閲の許可を受けていない歌を歌う盲人たち。盲目ゆえに書類を見せるわけにも、サインを求めるわけにもいかない。もっとも簡単で効率的な対処法として、何百という吟遊詩人たちが一か所に集められ、みな銃殺されたという。国家の「偉大な事業が進展中である」という理由で、ありとあらゆる繊細な音楽、詩、生きた歴史が、すべて無かったことにされた。ハルキフにはバンドゥーラ奏者の石碑が建っていると聞く。

 僕の母は弱視なので、尚のこと、このエピソードには胸を抉られるような思いがした。が、この凄愴な物語を、僕はやはり、二度と繰り返してはならない人類の愚行の「物語」として読んでいた。ベルリンの壁の崩壊をテレビで見た世代だ。1991年8月のクーデターが瞬く間に鎮圧され、バルト三国が独立し、ウクライナの国民投票を経てソ連も崩壊した。社会科の地図帳に「独立国家共同体」と赤字で書き込んだ世代だ。「武力の脅威、不信、心理的・イデオロギー的な闘争は、もはや過去のものになった」というミハイル・ゴルバチョフの言葉に輝かしい21世紀を信じた。もちろん戦争はあった。湾岸戦争があった。ユーゴスラビア紛争があった。が、1999年にも8月がやってきたことに残念がるようなほっとするような表情を浮かべていた人々が祝祭の雰囲気を楽しんでいたミレニアム・イヤーの頃に、ワールドトレードセンタービルの崩壊を想像するのは難しかった。

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 スウェーデンに滞在していた今年1月のはじめ、日本ウクライナ芸術協会を主宰する澤田智恵氏から作曲の相談を受けた。曰く、日本とウクライナの国交樹立30周年を記念するコンサートのために、2挺のヴァイオリンのための協奏曲を書いてくれないだろうか。もし可能ならウクライナ初演では指揮も振ってくれると嬉しい、とのこと。ソリストを務める予定のオレグ・クリサ氏が僕の作品を高く評価してくれているとの話も伝わってきた。

 光栄なことであるし、僕にとって初めての東欧である。夏の終わりくらいには書き終えられるかしら、あいさつ程度のロシア語でも許してくれるかしら、滞在中はどこを観光しようかしら、ごはんは美味しいかしら、お酒はやっぱり強いのかしら。そんなことを暢気に考えていた。そのとき耳に鳴り響いた嬉遊曲は、もう、今日の世界にふさわしくない。

 そういえば、奇遇にもスウェーデンではいろいろな人とロシアについての話をしたのだった。海に阻まれた我が国とは違い、北欧の人々にとってロシアは生々しく隣り合っている。真剣に警戒し、アラームは定期的にテストされ、「ryssarna kommer(ロシアが来た)」という表現が慣用句のようにもジョークのようにも使われる。ロシアは脅威であり、いつの日か、ここか、あるいはどこかで、何かがあってもおかしくないという価値観は、静かに、しかし広く、立場を超えて市井に共有されていた。もっとも、その「いつの日か」が正味一か月後に迫っていると想像するのは難しかったが。

 そのスウェーデンが国是を破りウクライナに武器供与をしたトピックについて、ゆえに、それほど僕は驚かなかった。このときの語らいがあったおかげかもしれない。

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 スターリンは狂人であった。結局、そのことはなんら驚くに値しない。気の狂った統治者はいくらでもいて、ロシアでもかなりの数にのぼり、イワン雷帝も、あるいはパーヴェル一世もそうであった。古代ローマのネロ皇帝もおそらく狂人であったろうし、イギリスでは、ジョージ何世かが、やはり気がふれていたと言われている。それだから、この事実そのものは驚くに値しない。(『ショスタコーヴィチの証言』)

 わざわざ僕が書くまでもないことだが、国連常任理事国でありながら安保理協議が行われている最中に宣戦布告した時点で、これは世界秩序に対する重大な挑戦であり、ウクライナ東部に住むロシア系住民の保護を名目としておきながら正規軍を用いて全面軍事作戦を決行した段階で侵略としか評価できない事象であって、ロシアを擁護できる要素など何一つとしてない。真珠湾の奇襲なく東京に焼夷弾を落とすようなものだ。2月24日以前のアメリカ、NATO、ウクライナの動きに、たとえ褒められたものではない例があるにしても、それらの対抗措置としてロシアの行動はまったく釣り合っていない。2月24日以降、お互いがどのようなプロパガンダ戦を繰り広げようとも、それらを考慮する必要など一切ない。

 ましてや、核のボタンを片手に世界を威嚇し、ジュネーブ条約に背いて原発を攻撃し、ショスタコーヴィチが交響曲にも描いたバビ・ヤールにあるホロコースト記念館を「ウクライナの非ナチ化」と言ったその口で爆撃している。開戦から一週間経った今日、戦況と同等あるいはそれ以上に、次から次へと開戦の名目もめまぐるしく変化している。支離滅裂である。プーチンの精神状態への懸念という報道もあった。もしくは「計算高く演出された狂気」ではないかと論ずる人もいた。しかし、本物の狂気と演出された狂気とに何の差があるだろうか。僕は兼好法師『徒然草』第八十五段の金言を思い出す。

 狂人の真似とて大路を走らば即ち狂人なり。悪人の真似とて人を殺さば悪人なり。驥を学ぶは驥の類、舜を学ぶは舜の徒なり。偽りても賢を学ばんを、賢といふべし。(狂人を真似て大通りを走ったならば、それはもう狂人である。悪人を真似て人を殺したならば、それは悪人である。良い馬は名馬を真似て駿馬になり、聖人を真似る者は聖人に等しい。嘘でも賢人の道を真似るなら、もはや賢人と言って構わない。

 冷戦は間違いなく1989年12月に終わっていた。エリツィン時代には資本主義経済へと転換したのだからイデオロギーで争う理由もなくなっていた。冷戦の記憶がない世代にとって米ソの競争など過去の「物語」でしかなかった。が、ある種の人々は、冷戦という名の廃墟のなかに今なお生きていて、自らの宿怨を、新しい世代にとってはまったく新しい修羅の妄執を、死霊のように世界に残していく。未来人類のためにそれを断ち切ると決意した父母世代の知性と勇気を実弾でぶち抜いていく。なんという痛嘆すべき世界。だが、世界秩序の現状変更という誘惑は、ロシアのみならず、他ならぬ我が国の足元にも強く流れている。

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 2003年のイラク戦争が勃発した頃、反戦の意思をブログに書いた際、「音楽家は政治的な発言をするべきではないと思う」とメールをくれた先輩があった。その理屈なら、目の前で人が殺されていても黙って見ているのが音楽家としてもっとも中立だということになる。僕は腹が立ち、それきり疎遠になってしまったが、今ならどう反論するだろうか。

 どう反論するもなにも、貴重な歴史と文化を伝える数百という吟遊詩人が銃殺され、ホロドモールで数百万人が飢え死に、侵攻してきたナチスにはユダヤ人が虐殺されたその血の上で、ようやく自分たちの主権を手に入れたウクライナの人々が、いま、再びロシアによって殺されている。何を言えば良いのか。殺すな、しか言えないではないか。

 反戦を口にすれば子供でも老婆でも連行される専制主義国家と違って、我が国は自由である。自由なはずである。冷笑的に「日本で反戦と言っても意味がない」「ただの遊び」などと言い、賢しらに「どちらにも正義はある」などと言い、冗談でもスターリン時代のソ連の人々と同じく黙ってやり過ごすならば、我が国はそれとまったく等しくなる。プーチンの戦争を許すだけでなく、積極的に加担すらしている。ウクライナでの侵攻を許すならば、我々が同じことをされても文句は言えまい。いま自分が生きている場所で、たとえ嘘でも、「傷ついた人々のそばに立つ」と口にする意義は、有り余るほどあるのは自明である。

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 どのような形で可能なのか、いつになれば可能なのか、今はさっぱりわからないが、乗り掛かった舟である。相談された1月の頃とはまったく違う意図をもって、僕は必ずやウクライナに音楽を届けに行きたい。僕は僕に可能な形で連帯の意思を示したいと思う。航空代金であるとか、滞在費であるとか、作曲料であるとか、予定されていた収入はおそらくない。それでもやらなければならないと思っている。これをご覧の皆様で、もしこの趣旨に賛同してくれる方があれば、何かしらの形でお力を頂ければ幸いである。