2020年2月6日木曜日

埋まらない温度差~大友直人氏に

 あれは2014年の2月6日だったから、もう6年も経つことになる。

 佐村河内氏ゴーストライター騒動。新垣氏会見の直後に『温度差』という記事を書いて、ここに載せた。約3万ほどのPVがあったので、ずいぶん多くの方に読んでいただいたのだろう。同年3月、私が立ち上げた署名キャンペーンに対する新垣氏のお礼文を載せた際にも同様の反応があった。(以来SNSで署名キャンペーンを見かけることが明らかに多くなったような気がする。)
 実はその1年前、2013年にも、私は『HIROSHIMA』について書いている。私はそもそも他人に興味のない人間なので、肝心のドキュメンタリー番組を知らず、当然、曲も聴いていなかった。その段階での所感である。これも騒動の最中は随分と読まれたようだ。

 件の作品は騒動中に聴いたし、新垣氏本人からは資料の提供も受けた(佐村河内氏には痛いだろうものばかりで、たいへん面白い。)騒動の最中には知りようのなかったことを、今はずいぶん知っている。それらを知った今となっても私は意見を変える必要がなかったので、これらはこのままにしてある。「自称「共犯者」の問いかけたもの : 新垣隆氏・署名サイトの内側から (「佐村河内氏問題」をめぐって)」(音楽現代2014年8月号)にもまとめて書いたとおりである。

 今日の新垣氏がたいへんな活躍をしているのも彼の人望が厚いゆえと思うが(まさか川谷絵音とバンドを組むようになるとまでは想像しなかったけれど、)私も、6年前の今日の日に私が想定した最悪の状態を回避するための幾ばくかの貢献は、できたと思っている。以上、私の立場の表明を前奏として、本題に入る。

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 指揮者・大友直人氏が初の著書『クラシックへの挑戦状』(中央公論新社)を2020年1月20日に出版した。『HIROSHIMA』を東京交響楽団と収録したこともあってか、本書中で佐村河内氏の騒動について触れている。当該部分に特に目新しいことはなく、産経新聞の連載記事『話の肖像画 指揮者・大友直人』(全9回 2019年2月4日~15日)で語られたことと大差ない。
 世間はすでに騒動のことなどすっかり忘れ去った頃とは思うが、私にとっては自分が生活する業界の話に他ならぬゆえ、どうしても看過できない記述をそのままにはしておけない。以下、本書から抜粋された『婦人公論.jp』の記事から引用する。

 私は日ごろから作曲家の有名無名や肩書きやプロフィールにかかわらず、自分の心の琴線に触れるかどうかを基準にさまざまな作品を紹介してきました。(婦人公論.jp 2020年2月4日 )
 私は、自分ははじめから彼の難聴に関してはまったく興味がないことを述べ(後略)(婦人公論.jp 2020年2月4日 )
 その虚像と作品を結びつけて群がってきた多くのメディアにも問題があったことは確かでしょう。私には何の悔いもありませんが、この事件に巻き込まれたことは残念なことでした。(婦人公論.jp 2020年2月4日 ※下線は筆者)

 佐村河内氏は当時、難聴ではなく「全聾」を主張していたはずだが、それはさておき。
 これらを拝するに、氏の主張は(1)良い作品だったから演奏した、(2)佐村河内氏の耳の問題には興味がなかった、(3)騒動はメディアにも問題があった、の3点である。氏の『HIROSHIMA』への評価はひとまず置いておくとしても、例えば事実と相違する以下のような記述を読むに、これをこのまま額面通りに受け取るのは難しい。

 東京初演となったコンサートは先に述べたように長年の定期演奏会として開催している東京芸術劇場シリーズのなかのコンサートです。お客様は基本的に定期会員として普段から私たちのコンサートに通ってくださっている方々でした。このときの演奏直後のお客様の熱狂的な拍手は今思い返しても作品と演奏に対する率直な反応だったと思っています。なぜならばこの時点では作曲者に対する情報はほとんどなく、当日の曲目解説も作曲家紹介も作曲家が難聴であることを殊更強調することもないごく普通の控え目なものだったからです。(婦人公論.jp 2020年2月4日 ※下線は筆者)

 ウェブ上で追えるだけでも、2010年4月4日の公演に前もって触れられた以下のような当時の記事はすぐに見つかる。「作曲家が難聴であることを殊更強調することもないごく普通の控え目なもの」として、ベートーヴェンやフォーレ、スメタナ、あるいは晩年に凄まじい肉体的苦痛に苦しんだ(のに、誰も書かない)ガーシュインやラヴェルなどと同様に読めるものではなかろう。

 ◆4月に東京交響楽団が、佐村河内守氏の交響曲第1番を披露
 ◎佐村河内氏の交響曲第1番は、広島の原爆をテーマにした祈りの音楽
 (前略)佐村河内氏は、被爆二世として広島に生まれ、20代で聴覚異常を発病。35歳の時に、すべての聴覚を失うが、自身の絶対音感を頼りに、その後も作曲を続ける。全聾後には、ゲームソフト「鬼武者」の音楽を手がけるなど、現代音楽だけでなく、ゲーム音楽、映画音楽、テレビ番組のテーマ曲など、幅広い分野で活躍している。重度の神経障害や頭鳴症、耳鳴り発作など、止むことのない肉体的かつ精神的な苦痛と闘いながら、同じように苦しんでいる人々に向けて、日々音楽を紡ぎだしているという。(後略)(Stereo Sound ONLINE 2010年2月23日 ※下線は筆者)

 一般の方の個人のブログをここにシェアすることは控えておくが、それらを拝するに、演奏の前には大友氏によるトークの時間が設けられ、佐村河内氏との出会いが語られたようだ。また、プログラムには音楽評論家・許光俊氏による解説のほかにも、NHKスペシャル『魂の旋律〜音を失った作曲家〜』のディレクター・古賀淳也氏による文章も含まれていたそうである。

 耳の問題について「私は/興味ない」のだとしても、他の人が必ずしもそうであるとは限らない。テレビを観て佐村河内氏を知り、著書『交響曲第一番』(講談社)を読んで涙したような、「基本的に定期会員として普段から私たちのコンサートに通ってくださっている方々」ではないだろうファン層にとっては、特にそうだ。すでに一部のファン層から「伝説」扱いを受けていたらしいことが、一般の方のブログからも見て取れる。彼らに純粋な音楽の聴取は不可能であると言って差し支えないだろう。
 私もすっかり信じ込んでいました。今から思えば誇張表現がありました。そのように仰っても今更誰が咎めよう。それがどうして、自らの主張を述べるにあたり「ごく普通の控え目なものだった」と、わざわざ仰らなくても良いようなことを仰ったのか。実のところ、この騒動の何がどうして問題だったのか、その「何」と「どうして」をご存知でらっしゃるからではないのか。

 あるいは本当に何もご存知なかったのか。別に構わないのだが、そうすると、CD発売から全曲初演、『NHKスペシャル』へと、メディアでの扱われ方やその表現がエスカレートしていったのを、その指揮台の中心にいながら、まったく興味を持たずに済ませたということになる。これは当時のファンたちがあまりに救われない。氏が嫌う、一般の聴衆を見下す姿そのものである。

 氏は2013年2月25日にも日本フィルハーモニー交響楽団とともに「全曲特別演奏会(東京初演)」を行っており、これは2013年4月27日、NHK-Eテレで放映され、日本コロムビアがDVD化している。いくら何でも指揮者が収録を知らないわけがないだろう。佐村河内氏も臨席しているのだから、当然、氏が佐村河内氏と会ったのも一回だけではない。つまり、少なくとも一般の聴衆にとって、氏は、メディアの側にいて佐村河内氏と関わってきた人物という立場にある。「なんとなく違和感を覚えました」と氏は仰るが、その「違和感」を都合よく無視してきたとの謗りは免れまい。

 氏の場合、世間に対して放つべき相応の言葉というものが、もっと他にあるだろうと思う。そうして初めて得られる理解もあるだろうと思う。それを述べたところで、すでに充分な地位を築いてらっしゃる氏に傷がつくこともないに違いない。これらの主張(結局「私は悪くない」としか読めない)のほうが、よほど氏自身を傷つけるものだ。もう少し慎重に言葉を選んでいただきたかったと思う。

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 日本のクラシック音楽の聴衆の間に、極端なオタク的感性を持つ人が増えてしまいました。自分の好き嫌いがはっきりしていて、嫌いなものは認めない。排他的な感性を持つ人を増やしてしまったといえるでしょう。(『日本のクラシックは「オタク」に殺されつつある』PRESIDENT Online 2020年01月29日

 氏の著書では、他の箇所の記述にも反論の声がある。例えば上記のようなものだ。
 我々に日々の糧を恵んでくれる重課金ユーザーを腐すとは何事だ、と思うかたわらで、私はこれを興味深く読んだ。要するに、氏は「一般のお客さん」を呼びたいわけだ。音楽のことなど何も知らないという人にクラシック音楽の裾野を広げ、願わくは彼らが涙するような演奏会を持ちたい。誰も反対しない素晴らしい意見である。『HIROSHIMA』は氏にとって初めての成功体験だっただろう。佐村河内氏に丸め込まれるのも無理はない。

 惜しむらくは、氏が自らの経験を正しく観察しきれていないことだ。
 何かを猛烈に好きになるということ、何かに取り憑かれ熱中するということは、時として何かを強烈に嫌いになる、排他的になるということでもあり得る。何かを絶賛できるということは、別の何かに激怒できるということでもある。そうして宝塚歌劇ファンと劇団四季ファンがお互いを貶しあったりする。そこまで含めて文化の裾野の豊かさというものではないだろうか。
 「ウィーンの人々はそれぞれ自分のベートーヴェンのテンポを持っている」というようなことを書いたのは誰だったか、たしかアルマ・マーラーの本で読んだような気がするが、だからどんなテンポでどのように弾いても必ず文句を言われる街だと。そういう「排他的な感性」としか言いようのない人々にブーイングを受けながら、クラシック音楽は火花を散らし育ってきたのだ。

 どうして佐村河内氏騒動はあれほど大きな騒動となり得たのか。ただ熱心なファンたちだけでは、ああはならない。『HIROSHIMA』には強烈なアンチが猛然と湧いた。熱狂的な拍手を送る人々のかたわらに冷めきった人々があったのである。例えば『「全聾の天才作曲家」佐村河内守は本物か』(新潮45eBooklet)を著した野口剛夫氏のような存在。私はあまり彼の意見に共感しないが(騒動後の彼の意見は特に賛同できない)熱狂的な拍手だけではなかった一つの記録ではある。

 当時のファンたちのブログを読むと、必ずと言って良いほどコメント欄に乱闘の跡がある。騒動の前から相当数のアンチがいたということだ。彼らが冷静に反論すればするほど、結果的にはファンは増える、燃え上がる。この寒暖の差こそ『HIROSHIMA』を大きく育んだものである。

 我々音楽家に与えられた課題は、そうした文化が育つに適した厳しい風土を、部外者がひねり出した「被爆二世・全聾」の6文字なしに作ることにある。そのために、音の上り下りだけで一喜一憂する、狂喜する、激怒する、そういう度し難い「オタク」をたくさん育てることである。もし氏の目にそうした「オタク」が増えていると映るなら、氏の憂慮とは裏腹に、日本のクラシック音楽は1990年以降進歩していると言わねばなるまいが、私の目には、まだまだ足りない。

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 もう長々と書いてきたから、もののついでに。

 ちょうど沖縄にいたときに、「週刊文春」の記者から電話が入り、「来週こういう記事を出すのでコメントをいただきたい」と言われました。私が「おやめになったほうがいいのでは。そんな記事を出して誰が幸せになるんですか」と答えると、「ゴーストライターに書かせたのは問題でしょう」と言う。「そんな作品は山のようにあります。オペラなんか1人では書けませんから。こんなことを大事件だと騒いでいたら、他の分野も含め収拾がつかなくなりますよ」と言うと、記者は「分かりました。大友さんのコメントは出しません」と言って電話を切りました。(『話の肖像画 指揮者・大友直人(60)(8)ネット上で中傷された』産経新聞2019.2.14)

 普段どのような環境でオペラの仕事をなさっているのか、僕は寡聞にして存じ上げませんけれども、台本も、音楽も、果てはチラシの題字まで全部自分ひとりで書いている僕としては正直迷惑で。ついうっかり「名誉毀損で訴えます」って言いたくなるからほんとやめて、こういうの。