2019年8月30日金曜日

オーバード


◎朝の歌
op.102a Aubade pour Hautbois d'amour et Piano
作曲年月 2017年12月
演奏時間 5分
楽器編成 オーボエ・ダモーレ(またはイングリッシュ・ホルン、またはファゴット)、ピアノ
委嘱 倉田悦子
初演 2018年1月・秋川キララホール 倉田悦子(オーボエ・ダモーレ)西澤健一(ピアノ)

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今年の4月、ファゴットのマティアス・ラッツ氏が来日した折、代々木のムジカーザで小さな会が催されました。内容は、サン=サーンスのファゴット・ソナタと僕の新作ファゴット・ソナタの日本初演(世界初演は作曲家本人の知らない間にスイスで済まされていたという、のをFacebookで知るという)。ピアノは山口佳代さんでした。

僕もアンコールでラッツ氏と共演しました。オーバード。もともとはオーボエ・ダモーレのために書いた小品でしたが、それをファゴット用に直したものです。ラッツ氏がご自身のチャンネルで動画を公開されているので、ご紹介します。

映像だと場の空気まではなかなか伝わりませんけど、曲の終わりでラッツ氏が素晴らしく柔らかい表情をしていて、僕はピアノの椅子の上で思わずキュンとしました。演奏家の良い顔を拝めるというのは、なによりの作曲家へのご褒美です。

この会については、日本ダブルリード(株)の多大なるご協力がありましたありましたことを追記しておきます。ちなみに、花房晴美さんの室内楽シリーズ「パリ・音楽のアトリエ〈第16集 ピアノ、西洋と日本の笛〉(2019年04月18日)」でもアンコールとして演奏されました。ラッツ氏が強く推してくださったそうです(……。)

いま、この作品について、出版に向けた話が進んでおります。オーボエ・ダモーレ用の原曲、イングリッシュ・ホルン用、ファゴット用と3つのパターンを出版社に渡しているんですが、さて、どういうカタチで製本されるのやら…。

オーボエ・ダモーレ版もここに貼り付けておきましょう。倉田悦子さんの演奏です。


2019年8月28日水曜日

瑞典・維納紀行

グリーグのメロディに親しみ、シベリウスの交響曲(特に4番)に痺れ、ニールセン(特に晩年)で頭を爆破してきた僕ですから、北欧には少なからず思い入れがあります。ですが、この三カ国に囲まれた国…ABBAにRoxetteやキャラメルダンセンの国…には、あまり注意を払ってきませんでした。確かにイケアで新居の家具を揃えはしましたけど、せいぜいそれくらいもの。

それがふとした縁で、急にスウェーデンとの関わりを持つようになり、5月末から6月にかけて訪問することになりました。

ストックホルム美術館を背に海を望めば多くの海鳥が空を飛んでいて、通りに目をやれば水鳥たちが散歩している。北海道39度の恐ろしいニュースを遠くに聞きながら、なんとも涼しく心地の良い気候。やたら人口の多い街に生まれ住む者としては少々心細くなるほどの人の少なさですが、それでも、厳しい冬を抜け日が伸び始める初夏の人々の高揚感が街を満たしているようです。

滞在中はストックホルムのほか、モタラ、エーレブロー、ヴァドステーナの街にも赴きました。方々で夕食もごちそうになり、特に印象に残っているのが、このパンビフ。イケアの食堂でおなじみの肉団子…の、少し大きめバージョン。獲れたてのヘラジカの肉で作られた伝統的な家庭の味。コケモモのジャムもお手製。毎日食べられる優しい味。乾杯は台所でするというのも、面白い習慣。

でも、スウェーデン人の言う「いかにもスウェーデン的」な食べ物は、ピザ、ワッフル、タコスなどだそうで。外国人としては「なんで?」と思うのですが、ピザはイタリアではなくトルコ風。日本の宅配ピザLサイズ相当の大きさを1人で食べる、と、なかなか豪快。共通の敵ロシアに苦しめられたこともあって歴史的にも関わりが深いスウェーデンとトルコ。「だからピザなのか」と感心したら「あんまり関係ないかも」とのこと。

「ロシア人が来た」という表現は、ある種のジョークとして機能するようです。日本もかつてロシアと戦ったことがあるので、正露丸の話をしたところ、ウケました。

夏の夜の美しさは格別のものでした。まだまだ明るい午前2時の、あたり一面の麦畑。パーティではシュナップスをたくさん飲み、いろいろの話をしました。

スウェーデンの人々はとにかく平等ということを言います。人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、差別されない。それを誇りにもしています。名詞の別は男女ではなく共性と中性、動詞の語尾変化すべて同じ、二人称は誰に対しても親称du、と、言語の上で徹底されていることも、きっと無関係ではないでしょう。

まったくの対等という立場から発せられる意見を聞くにつれ、尊敬語と謙譲語のある言語世界に暮らす僕は、対等ではない関係を前提に言葉を選ぶ癖がついていることを改めて意識しました。事実婚には何の保証もない、同性婚はできない、国籍はひとつしか持てない、日本生まれの「外国人」がいる、等々。こちらの事情を話して驚かれることもしばしば。

逆に、自然を楽しむためなら人の庭だろうと勝手に入って良い、であるとか、健康のために風呂場にカビを生やしてはいけない、などの法律があることには僕が驚きました。「だからカビが生えないように設計してあるんだよ」と説明されましたが、お邪魔したどの家の風呂場を見ても、東京なら一日でカビが生えそうです。

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スウェーデン行きを計画していた折、せっかくならもう一カ国くらい行きたい、ということで方々と相談したところ「ならばコンサートをしないか」との打診を受け、赴いたのがウィーン。過去に1度だけ行ったことがあります。なんと約25年前のこと。

初日にさっそくウィーン国立音大で合わせ。「アントン・フォン・ウェーベルン・プラッツ」という住所に、まずびっくり。30度超えの気候にもびっくり。スウェーデンではあまり練習できず、初合わせから本番まで丸2日しかないということで、少々焦りました。

会の前半は僕の作品。後半は、コロンビアに生まれオーストリアで学び活躍するピンゾンのソナチネと、ミヨーなどと学び戦争中はメキシコに疎開したルービンのソナタ。まったく忘れられた作品で、楽譜を読んでいても「?」の連続でしたが、本番の舞台でようやく「!」という瞬間が訪れました。共演のヴァイオリン、現在ウィーンで学ぶ早瀬千賀さんには助けられました。



僕のようなクラシックをやってる人間にとっては歴史的な意味を持つ名前であっても、もちろんウィーンは現在進行形の街。折しもユーロ・プライドの真っ最中。今回の滞在では、むしろ僕の知らなかったウィーンの今の姿を見て回りました。

市庁舎前で催されている野外イベントに、ときどきやたら上手い金管五重奏が出てきて、お国柄だな、とは思ったのですが、音楽に合わせ踊る人々、抱き合う人々。音量とジャンルは変わったにせよ、きっとやってることは、100年前とそうそう変わらないのです。


その100年前ということで、最終日はレオポルト美術家にも行ってきました。クリムトやエゴン・シーレが並ぶなかで、なんと我らがシェーンベルク先生の油絵作品もちゃんと一角を占めていて、妙に嬉しくなりました。

ただ、本人の自画像、ツェムリンスキーの肖像画はよくわかるんですけど、写真のこれ。マーラーらしいです。タイトルを二度見三度見くらいしましたけど、やっぱりマーラーらしいです。

夜毎修行僧のような顔でマーラーの家にやってきて、飲んで、大議論を吹っかけては大ゲンカして帰っていく、みたいな話をアルマの本で読んだような気がするんですけど、そんなノリで描いたからこんなことになっちゃったんでしょう。

でも、これをして許される関係だった、とも言える。

オペラ座前のモニュメントに刻まれているのも、シェーンベルク、ベルク、ヴェーベルン、それにマーラーの4人の名前なんですよね。彼らの生きざまも、音楽も、僕にとっては青春群像劇という印象が強いです。と、感慨に浸りながら佇む僕に話しかけてきた呼び込みのおっちゃんのノリが、ウィーンというより明らかに浅草のノリで、うさんくさくて大好きでした。

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たくさんの出会いに恵まれた3週間ほど。良い滞在となりました。スウェーデンにはさらに強い縁ができたので、きっとまたお邪魔することでしょう。そう、次は…オリンピックの季節にでも。