2019年11月27日水曜日

クラシック風アレンジで聴く 美空ひばり

2016年に初演して以来、クラシック専門インターネットラジオ「OTTAVA」でも取り上げられ、再演希望の声を多く頂いておりましたこの企画。4年ぶりに皆様にお届けできることとなりました。

美空ひばりという不世出の国民的歌手への尊敬の念はもちろんですが、舞台裏で彼女を支えた大衆音楽作家の作品と、その個性に注目します。

大衆作家だからこそ残し得たもの、もはや誰にも書けないもの、それでいて今なお新鮮なもの…

いずれも素晴らしい仕事ばかりのこれらを、昭和というひとつの時代の記憶として懷かしむに留まらず、芸術音楽の歌手たちが「日本歌曲」として歌い継ぐことはできないものか。その再定義の試みを、皆様とともに分かち合いたいと思います。

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◎クラシック風アレンジで聴く 美空ひばり
日時 2020年1月25日(土)
   13時30分開演(12時開場)
会場 アート・カフェ・フレンズ
   http://www.artcafefriends.jp/
   (JR恵比寿駅西口下車徒歩2分)
チャージ 前売¥3,500 当日¥4,000
     ※お飲み物代500円を別途申し受けます。

曲目
 東京キッド(万城目正)
 リンゴ追分(米山正夫)
 みだれ髪(船村徹)
 悲しき口笛(万城目正)
 車屋さん(米山正夫)
 日和下駄(米山正夫)
 花笠道中(米山正夫)
 哀愁波止場(船村徹)
 悲しい酒(古賀政男)
 津軽のふるさと(米山正夫)
  ※新しい編曲の追加を計画しています。

お問い合わせ
 卍プロジェクト 03-6421-1206
 スタジオ・フレッシェ studiofroesche[at]gmail.com

予約は下の「今すぐ購入」ボタンから
 ※チケットの発送はございません。受付でお名前をお申し出ください。
 ※当日はお飲み物代500円を別途ご用意ください。

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◇ごあいさつ 西澤健一

美空ひばり。52歳、昭和の太陽没す―
終わりのないようにすら感じられた昭和という時代が、風に吹かれる砂のように、どこかへと消え去ってしまった。そんな平成元年の喪失感を僕もよく覚えています。太陽を失った我々は、その寂しさに耐えかねて今なお彼女をよく思い出します。ついには、彼女の声を解析したAIが新曲を披露するという、そんなニュースを耳にする昨今です。

この企画もまた、彼女の歌を懐かしむ心から出発しました。

クラシック音楽とその発声法を学んできた歌手たちが円滑に歌の世界へと入って行けるように、クラシック音楽の技法を用いたピアノ伴奏を用意する。僕の意図はその一点のみでした。「クラシック風アレンジ」と銘打ちましたが、本当は「クラシック音楽の歌手のためのアレンジ」と言うほうが、より正確かもしれません。僕はただ純粋に、旋律線とその背後の和声とを観察することに徹したのです。

この作業のなかで、美空ひばりその人もさることながら、あの時代の大衆音楽の作曲家たちが遺したものの大きさにも改めて思い至りました。米山正夫、万城目正、船村徹、古賀政男。みなそれぞれに強い個性を持っていて、それぞれに複雑で、豊かなのです。演歌・歌謡曲という呼称の内側には、どこまでも本格的な音楽があったのです。

あれから30年が経ち、また新しい時代がやってきました。往時の記憶のない若い世代も増えてきました。記憶ある最後のひとりが逝くときに忘れ去られてしまうだろうにはあまりに惜しいこれらの歌々を、なんとか、芸術の歌手たちによって歌い継ぐことはできないだろうか。ただ懐かしんで終わるのではなく、これからの時代の新しい「歌曲」のレパートリーとして遺すことはできないだろうか…

初めて皆様に披露してからの2年間。美空ひばりという存在が想定されたものゆえにたいへん技巧的な「歌曲」となったこれらの編曲を、新宮さんは大切に歌い続けてくれました。僕も少しは上手くなりました。再び、皆様の前で演奏できるのを楽しみにしています。

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動画=前回2016年のリハーサル風景から「津軽のふるさと」(米山正夫/詞・曲)



2019年9月11日水曜日

猫の島・キツネ村訪問記、などなど。


2台ピアノ(に限った話ではないのですけど)を書くとき。僕は全くタイプの違う奏者を想定します。個性の違う、音色の違う、性格の違う、服のセンスも好きなラーメン屋も何もかも違うピアニストが二人いて、お互い、相手の趣味に寄せる気ゼロという状態を考えるわけです。スタインウェイなりベーゼンなりで同じピアノを2台揃えたところで、2人の打鍵が同質に揃えられるなんてことは不可能なのであって。それなら、まったく違う色で弾いてもらったほうが、面白い。

8月18日。仙台ピアノデュオの会会員による第20回記念デュオコンサート。この会のために2台ピアノのための新作『祝典ソナタ』を書き下ろしました。僭越ながら僕自身もゲスト出演ということで、2014年に書いた2台8手のための『夏の前奏曲』を演奏。初演がまさに5年前の仙台でした。再演を重ねると変わっていきますね。初演時と違うメンバーの演奏であっても、再演は再演の響きがする…作曲家をやっていて不思議に思うことのひとつですが、これが楽しい。僕自身リラックスした伸びやかな演奏が出来たと思います。リハーサルの音源ですが、You Tubeにアップしておきました。


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今回の滞在では、ちょっとした旅をしました。

19日。フェリーで石巻から田代島に。「ひょっこりひょうたん島」のモデルになった島のひとつという噂もありますが、それよりも猫の島として有名で、フェリーの船内も、明らかに地元の人たちという以外は、外国人観光客が多く見受けられました。

日差しの強い日で暑いは暑いものの、東京のような、モワリとした湿気は感じません。港に着くやいなや、道端に猫、塀の上にも猫。いかにも島らしい細い途を歩いていると、寝てる猫、散歩している猫、建物にこっそり入りたがってる猫、ケンカしてる猫、たまにヘビ。大事にしてもらっているのか、旅人にもあまり警戒心を示しません。

島中央部にある猫神社にお参りしてから、カフェ「クロネコ堂」で看板メニュー「ねこカレー」を食す。もともとは簡易郵便局だったようで、現在は島の資料館も兼ねているようです。壁には昭和13年の逓信省からの令旨が参謀総長戴仁親王の署名で「支那事変勃発以来或ハ軍ニ従ヒテ繁劇ナル野戦郵便、電信若ハ其他ノ要務ニ服シ」などとあって、これが実にキレイに保存してあるので、戸外の静けさも相まって一瞬タイムスリップした気になりました。

僕は、あれは馬鹿な戦争だったと思っている人ですけど。ただ、あの頃の地位ある方々の言葉というのは、構文がしっかりしていて、どんなに長い一文でも崩れない。美しいは美しい。そういう言葉が扱える高度な訓練を受けた人たちでも道を誤るのだということを、崩れまくった現代語を喋っている我々も忘れずにいたほうが良いでしょう。

石巻の街も散策。石ノ森章太郎の出身地だけあって街中至るところにサイボーグ009。石ノ森萬画館にも寄りました。震災後、木村拓哉とビートたけし、笑福亭鶴瓶が出演した車のテレビCMに使われていた建物は、ジンギスカンを出す飲み屋として営業中。ここの女将がとても愛らしい性格で、僕は好きになりました。

東京の人間として旅行にやってきて、石巻の飲み屋で雑談していると、どうしても「津波」という話題になります。たくさんの確かめられない死…確かめられないから死とは認められない何かが、消せないメールの数々となって残っています。けれど、それはそれとして、生きている以上は生きていかなければなりません。

生きるということ。食ったり飲んだりするということ。田んぼで米を刈ったり、海で魚を採ったり、商売したりするということ。だが「何にも進んでない」と女将はこぼしていました。「戦後の闇市みたいにさ、商売するときなのよ今は。本当はチャンスなのよ。でもさあ…私ももうちょっと若けりゃ説教して回るんだけどねえ」

都市計画にまつわる意見の相違ということなのか、とにかくお上からの規制が厳しいようです。「嵩上げなんかしなくったってね、動線だけちゃんとしてればいいの。あと、高い建物。避難できる場所。全部流されても命さえあればなんとかなるんだから」

5年前『夏の前奏曲』初演の際に見学した荒浜の観音像をふと思い出しました。あの日の記憶を忘れまいと像が建立されても、肝心の人々のことは、そこに生きて生活してきた生きている人々のことは、今なお忘れられたまま。内蔵をむき出しにしてひしゃげている電柱の脇で、帰りたいと訴える人々が黄色い旗を掲げていました。その声に同調するように、応援するように、小さなタンポポたちもひっそり咲いていたのを覚えています。

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20日。白石に移動し蔵王キツネ村を訪問。珍しい種類のキツネや、何らかの事情のある数匹の子が檻に入れられている以外は、100匹近くの個体が放し飼いにされているということです。写真のこの子にはクンクンと足元のニオイを嗅がれたうえで、マーキングされました。どうやら僕は光栄にもこの子の所有物になったようです。そういうこともあるので、動物のすることに寛大な心を持てない人には、あまりオススメいたしません。

だっこ体験もできます。別途600円也。

最寄りのバス停を通る市営バスは週に2回のみ(!)の運行で、猫の島でも見かけた外国人観光客を、ここでも見かけました。髭面のいかつい男と、おそらくオランダ語らしき言葉を喋っている女の子たち。まったく同じ旅程を辿ったようです。ひどい雨の日でしたが、ずぶ濡れになりながら、彼ら彼女らはたいそう楽しんでいました。こういう場所は、日本人よりむしろ外国人にウケが良いようです。

夜空に白く浮かび上がる白石城。仙台よりかはもちろんのこと、石巻よりも静かです。ところで、白石といえば、うーめん。油の入っていないそうめんと言えばイメージしやすいでしょうか。麦と塩だけの素朴な麺で、飲み屋に蕎麦屋、小料理屋と、うーめんを出していない店が見つけられないほど。東京でも稀に乾麺なら見かけますけど、出している店は見当たりません。胡桃ダレの冷やしうーめんを蕎麦屋でいただいてから、帰途につきました。

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ということで、猫の島・キツネ村訪問記は、これにておしまい。

取って付けたようにココで載せるのもどうかと思いますけど、いくつかの写真を。まず1枚目。7月8日、鶴見のサルビアホールにて。荒井章乃さんが『無伴奏ヴァイオリンのための小ソナタ』を初演してくださいました。端正で美しい音程と音色の持ち主で、リハーサルの段階で僕が言うことは何もない状態まで仕上げてくださったので(本当に何も言わなかったので、かえって不安にさせたかもしれないですけど…)僕の作品も幸せでした。左はヴィオラの三浦克之さん。僕よりも派手な人を久々に見ました。長いことお二人でデュオのコンサートシリーズを開いているそうで、これが(僕好みの)渋い会でした。いずれはデュオを書きましょう、と、打ち上げの席でお約束しましたので、お楽しみに。



2枚目。8月24日、東京文化会館小ホールにて。東京リコーダー音楽祭で中村栄宏くんが『リコーダーとピアノのための小ソナタ』(同じタイトルだ…)を演奏。真ん中はリコーダーアンサンブル曲の作曲家として日本のリコーダー界でも馴染みの深いゼーレン・ジーク氏。この会のために来日されたそうで、インド料理屋でお昼もご一緒しました。作曲家らしからぬオープン・マインドっぷりで、良い人です。

3枚目。8月31日、新大久保のスタジオ・ヴィルトゥオージにて。この曲を中村くんと共に委嘱・初演し、CDにも収録してくれたピアノの安嶋健太郎氏と、客席にいらしていた作曲家の酒井健治氏。同年生まれで、名前こそ良く存じ上げているものの、この日が初対面。不良作曲家の僕はともかく、裏番組が芥川作曲賞だったのにコッチに来ちゃって良かったのでしょうか。

安嶋氏が音楽ジャーナリスト池田卓夫さんに「同年代の作曲家で誰のを演奏したら良い?」と相談した際、彼は「西澤健一、酒井健治」と名前を挙げたとかで、ありがたいことです。僕と酒井氏とは、作風というか、取り組んでいることの種類のようなものが違いますけど、あくまでこの世界は、幅広く、多様なスタイルの音楽が同時代的にあってはじめて豊かなのであるというところを強く共有していると思います。そんな話をネタにしながら中華屋で餃子を食べ、すっかり遅くまで一緒に飲んで、いろいろの話をして、酒井氏は新幹線を逃すという。学生時代を思い出すような、グダグダな一日を楽しく過ごしました、とさ。

2019年8月30日金曜日

オーバード


◎朝の歌
op.102a Aubade pour Hautbois d'amour et Piano
作曲年月 2017年12月
演奏時間 5分
楽器編成 オーボエ・ダモーレ(またはイングリッシュ・ホルン、またはファゴット)、ピアノ
委嘱 倉田悦子
初演 2018年1月・秋川キララホール 倉田悦子(オーボエ・ダモーレ)西澤健一(ピアノ)

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今年の4月、ファゴットのマティアス・ラッツ氏が来日した折、代々木のムジカーザで小さな会が催されました。内容は、サン=サーンスのファゴット・ソナタと僕の新作ファゴット・ソナタの日本初演(世界初演は作曲家本人の知らない間にスイスで済まされていたという、のをFacebookで知るという)。ピアノは山口佳代さんでした。

僕もアンコールでラッツ氏と共演しました。オーバード。もともとはオーボエ・ダモーレのために書いた小品でしたが、それをファゴット用に直したものです。ラッツ氏がご自身のチャンネルで動画を公開されているので、ご紹介します。

映像だと場の空気まではなかなか伝わりませんけど、曲の終わりでラッツ氏が素晴らしく柔らかい表情をしていて、僕はピアノの椅子の上で思わずキュンとしました。演奏家の良い顔を拝めるというのは、なによりの作曲家へのご褒美です。

この会については、日本ダブルリード(株)の多大なるご協力がありましたありましたことを追記しておきます。ちなみに、花房晴美さんの室内楽シリーズ「パリ・音楽のアトリエ〈第16集 ピアノ、西洋と日本の笛〉(2019年04月18日)」でもアンコールとして演奏されました。ラッツ氏が強く推してくださったそうです(……。)

いま、この作品について、出版に向けた話が進んでおります。オーボエ・ダモーレ用の原曲、イングリッシュ・ホルン用、ファゴット用と3つのパターンを出版社に渡しているんですが、さて、どういうカタチで製本されるのやら…。

オーボエ・ダモーレ版もここに貼り付けておきましょう。倉田悦子さんの演奏です。


2019年8月28日水曜日

瑞典・維納紀行

グリーグのメロディに親しみ、シベリウスの交響曲(特に4番)に痺れ、ニールセン(特に晩年)で頭を爆破してきた僕ですから、北欧には少なからず思い入れがあります。ですが、この三カ国に囲まれた国…ABBAにRoxetteやキャラメルダンセンの国…には、あまり注意を払ってきませんでした。確かにイケアで新居の家具を揃えはしましたけど、せいぜいそれくらいもの。

それがふとした縁で、急にスウェーデンとの関わりを持つようになり、5月末から6月にかけて訪問することになりました。

ストックホルム美術館を背に海を望めば多くの海鳥が空を飛んでいて、通りに目をやれば水鳥たちが散歩している。北海道39度の恐ろしいニュースを遠くに聞きながら、なんとも涼しく心地の良い気候。やたら人口の多い街に生まれ住む者としては少々心細くなるほどの人の少なさですが、それでも、厳しい冬を抜け日が伸び始める初夏の人々の高揚感が街を満たしているようです。

滞在中はストックホルムのほか、モタラ、エーレブロー、ヴァドステーナの街にも赴きました。方々で夕食もごちそうになり、特に印象に残っているのが、このパンビフ。イケアの食堂でおなじみの肉団子…の、少し大きめバージョン。獲れたてのヘラジカの肉で作られた伝統的な家庭の味。コケモモのジャムもお手製。毎日食べられる優しい味。乾杯は台所でするというのも、面白い習慣。

でも、スウェーデン人の言う「いかにもスウェーデン的」な食べ物は、ピザ、ワッフル、タコスなどだそうで。外国人としては「なんで?」と思うのですが、ピザはイタリアではなくトルコ風。日本の宅配ピザLサイズ相当の大きさを1人で食べる、と、なかなか豪快。共通の敵ロシアに苦しめられたこともあって歴史的にも関わりが深いスウェーデンとトルコ。「だからピザなのか」と感心したら「あんまり関係ないかも」とのこと。

「ロシア人が来た」という表現は、ある種のジョークとして機能するようです。日本もかつてロシアと戦ったことがあるので、正露丸の話をしたところ、ウケました。

夏の夜の美しさは格別のものでした。まだまだ明るい午前2時の、あたり一面の麦畑。パーティではシュナップスをたくさん飲み、いろいろの話をしました。

スウェーデンの人々はとにかく平等ということを言います。人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、差別されない。それを誇りにもしています。名詞の別は男女ではなく共性と中性、動詞の語尾変化すべて同じ、二人称は誰に対しても親称du、と、言語の上で徹底されていることも、きっと無関係ではないでしょう。

まったくの対等という立場から発せられる意見を聞くにつれ、尊敬語と謙譲語のある言語世界に暮らす僕は、対等ではない関係を前提に言葉を選ぶ癖がついていることを改めて意識しました。事実婚には何の保証もない、同性婚はできない、国籍はひとつしか持てない、日本生まれの「外国人」がいる、等々。こちらの事情を話して驚かれることもしばしば。

逆に、自然を楽しむためなら人の庭だろうと勝手に入って良い、であるとか、健康のために風呂場にカビを生やしてはいけない、などの法律があることには僕が驚きました。「だからカビが生えないように設計してあるんだよ」と説明されましたが、お邪魔したどの家の風呂場を見ても、東京なら一日でカビが生えそうです。

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スウェーデン行きを計画していた折、せっかくならもう一カ国くらい行きたい、ということで方々と相談したところ「ならばコンサートをしないか」との打診を受け、赴いたのがウィーン。過去に1度だけ行ったことがあります。なんと約25年前のこと。

初日にさっそくウィーン国立音大で合わせ。「アントン・フォン・ウェーベルン・プラッツ」という住所に、まずびっくり。30度超えの気候にもびっくり。スウェーデンではあまり練習できず、初合わせから本番まで丸2日しかないということで、少々焦りました。

会の前半は僕の作品。後半は、コロンビアに生まれオーストリアで学び活躍するピンゾンのソナチネと、ミヨーなどと学び戦争中はメキシコに疎開したルービンのソナタ。まったく忘れられた作品で、楽譜を読んでいても「?」の連続でしたが、本番の舞台でようやく「!」という瞬間が訪れました。共演のヴァイオリン、現在ウィーンで学ぶ早瀬千賀さんには助けられました。



僕のようなクラシックをやってる人間にとっては歴史的な意味を持つ名前であっても、もちろんウィーンは現在進行形の街。折しもユーロ・プライドの真っ最中。今回の滞在では、むしろ僕の知らなかったウィーンの今の姿を見て回りました。

市庁舎前で催されている野外イベントに、ときどきやたら上手い金管五重奏が出てきて、お国柄だな、とは思ったのですが、音楽に合わせ踊る人々、抱き合う人々。音量とジャンルは変わったにせよ、きっとやってることは、100年前とそうそう変わらないのです。


その100年前ということで、最終日はレオポルト美術家にも行ってきました。クリムトやエゴン・シーレが並ぶなかで、なんと我らがシェーンベルク先生の油絵作品もちゃんと一角を占めていて、妙に嬉しくなりました。

ただ、本人の自画像、ツェムリンスキーの肖像画はよくわかるんですけど、写真のこれ。マーラーらしいです。タイトルを二度見三度見くらいしましたけど、やっぱりマーラーらしいです。

夜毎修行僧のような顔でマーラーの家にやってきて、飲んで、大議論を吹っかけては大ゲンカして帰っていく、みたいな話をアルマの本で読んだような気がするんですけど、そんなノリで描いたからこんなことになっちゃったんでしょう。

でも、これをして許される関係だった、とも言える。

オペラ座前のモニュメントに刻まれているのも、シェーンベルク、ベルク、ヴェーベルン、それにマーラーの4人の名前なんですよね。彼らの生きざまも、音楽も、僕にとっては青春群像劇という印象が強いです。と、感慨に浸りながら佇む僕に話しかけてきた呼び込みのおっちゃんのノリが、ウィーンというより明らかに浅草のノリで、うさんくさくて大好きでした。

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たくさんの出会いに恵まれた3週間ほど。良い滞在となりました。スウェーデンにはさらに強い縁ができたので、きっとまたお邪魔することでしょう。そう、次は…オリンピックの季節にでも。

2019年5月24日金曜日

6月ウィーン&7月新作初演

告知が追いついていませんが、来月12日、ウィーンで一晩コンサートをすることになりました。「ヨーロッパに来ることがあれば是非」と、実は数年前から声をかけて頂いてはおりましたが、最近はオペラ2作に付きっきりだったのもあって、なかなか重い腰があがらず。ここに至ってようやく決心しました。現地にお住まいの方は、ぜひお付き合いいただければ幸いです。

MELODIEN. Zwischen Japan und Österreich
◎日本とオーストリアのメロディ

出演:
早瀬千賀(ヴァイオリン)
西澤健一(ピアノ)

曲目:
西澤健一/4つの小さなメロディ
西澤健一/リコーダーとピアノのための小ソナタ(ヴァイオリン編)
西澤健一/ピアノのためのパッサカリア
ホルヘ・フンベルト・ピンゾン/ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ
マルセル・ルービン/ヴァイオリン・ソナタ
トーマス・ダニエル・シュレー/メロディ op.7B

6月12日(水)20時開演
会場:Alte Schmiede Kunstverein Wien
Schönlaterngasse 9
1010 Wien Österreich

詳しくはリンク先の情報を参照のこと。紹介文中に独学という表現がありますが、一応、僕は前もって否定しておきましたので、天国の溝上先生、誤解しないでください。

ウィーンに入る前には所用のためストックホルム近郊にも立ち寄ります。なかなかスウェーデン方面の音楽家とは知り合う機会がなかったので、これを機に、なにかあれば良いなと思っています。どうぞよろしく。

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もうひとつ、新作初演のご案内です。

ふとしたことからご縁を頂きまして、ヴァイオリンの荒井章乃さんからの委嘱で無伴奏ヴァイオリンのための作品を書きました。個人的には約15年ぶりの無伴奏。前作よりずっと良い作品になって(…なければ困るのですが…)満足しています。ヴァイオリンとヴィオラだけの会というのも珍しいと思うので、ぜひ。

曲目
ブルーニ/6つの協奏的二重奏曲第4巻より
西澤健一/無伴奏ヴァイオリンのための小ソナタ(委嘱作品)
シュポア/ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲
ヴュータン/無伴奏ヴィオラのためのカプリッチョ ほか

7月8日(月)19時開演
会場:横浜市鶴見区民センター サルビアホール

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余談。このサイトの作品リストを少しリニューアルしています。YouTubeにも過去の作品などをいくつかアップしました。チャンネル登録、どうぞよろしくお願いします。



2019年4月17日水曜日

ファゴット・ソナタ


◎ファゴット・ソナタ
op.103 Sonate pour Basson et Piano
 Moderato
 Allegretto
 Adagietto - Allegro con brio
作曲年月 2018年5月
演奏時間 12分
楽器編成 ファゴット、ピアノ
委嘱 日本ダブルリード株式会社
初演 2019年3月・チューリヒ マティアス・ラッツ(ファゴット)アンネ・ヒンリヒセン(ピアノ)
日本初演 2019年4月・東京 ムジカーザ マティアス・ラッツ(ファゴット)山口佳代(ピアノ)

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◎プログラムノート 西澤健一
◆サン=サーンス ファゴット・ソナタ 作品168

 2歳でピアノを弾き、3歳から作曲を始め「神童」とうたわれたサン=サーンスが86年の人生を閉じる1921年、その年に、彼はレパートリーに恵まれていない楽器のために6曲のソナタを書く計画を立てた。この計画は残念ながら寿命のためにオーボエ、クラリネット、そしてファゴットのためのソナタを書いたところで中絶してしまったが、残された3曲はいずれも、彼の望み通りに、これらの楽器のための重要なレパートリーとなっている。
 6曲綴りの連作という形式はハイドンやモーツァルトのような古典派の作曲家を意識してのことだろう(6曲をまとめて出版していた当時の習慣に由来する)。ゆえに、古典派的と形容できそうな均整の取れた姿をしているものの、ロマン派のみならず、彼より先に来世へと旅立ってしまった後輩ドビュッシー以後の和声すら時折り顔を覗かせる。小節線をまたぐと十年二十年とタイムスリップしてしまうような筆跡だ。が、それらが決して断絶を起こすことなく、どこまでも滑らかに編まれているところに、彼最晩年の境地を見る。
 第1楽章アレグロ・モデラート。第2楽章アレグロ・スケルツァンド。第3楽章、モルト・アダージョ―アレグロ・モデラート。

◆西澤健一 ファゴット・ソナタ(2018)

 管楽器のためのソナタを書くとき、フランセやプーランクといったフランスの作曲家たちの成した仕事は、必ず振り返られなければならないものとして存在している。もちろんサン=サーンスはその始祖たるものだ。クラリネット・ソナタ(2013)を書いた当初、連作にする意図までは無かったものの、オーボエ・ソナタ(2015)に続き今回このファゴット・ソナタを書き上げたことによって、結果的に彼の後を追う格好になった。
 まだ彼の半分の長さも生きていない私には自分の血肉として80年以上の歳月を感じることができない代わりに、時代的にも地理的にも、彼とはまったく異なる性質の世界を生きているということを生かさない手立てはない。西洋音楽が育んできた歴史を緯線に、非西洋地域の音楽の智慧を経線として、それらを古典的なフォルムのなかに「どこまでも滑らかに編む」ことを企図した。過去二作ではアラブ音楽や南インドの音楽を、ファゴット・ソナタでは私自身の住まう日本の音楽を用いている。ちょうど、このソナタの直前に大阪・船場言葉の台本によるオペラ『卍』(2017)を書いた経験も大きかったように思う。
 第1楽章モデラート。第2楽章アレグレット。第3楽章アダージェット―アレグロ・コン・ブリオ。