2018年12月7日金曜日

オペラ 瘋癲老人日記 全二幕



◎オペラ 瘋癲老人日記 全二幕
op.105 Diario di un vecchio pazzo - Opera buffa
原作 谷崎潤一郎
脚本 西澤健一
配役 督助(バリトン)資産家の老人
   颯子(メゾ・ソプラノ)浄吉の妻
   佐々木(ソプラノ)住み込みの看護婦、大阪出身
   春久(テノール)督助の甥
   千代(ソプラノ)督助の妻
   経助(ソプラノ・子役)督助の孫、小学1年生
   浄吉(俳優)督助の長男
   陸子(女優)督助の長女
作曲年月 2018年8月~10月
演奏時間 80分(40,40)
楽器編成 オーボエ、ファゴット、打楽器(ヴィブラフォン、テンプルブロック2、トムトム2、タンバリン、マラカス、ヴィブラスラップ、拍子木、レインスティック)、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、ピアノ
初演 2018年12月・めぐろパーシモンホール小ホール 岡元敦司(督助)、新宮由理(颯子)、津山恵(佐々木)、横山慎吾(春久)、原千裕(千代)、森晴子(経助)、西村功貴(浄吉)、藤田みか(陸子)、倉田悦子(オーボエ)、柳澤香澄(ファゴット)、塗矢真弥(ヴァイオリン)、神田幸彦(ヴィオラ)、岡崎健太郎(チェロ)、米丸咲季子(ピアノ)、新野将之(打楽器)、西澤健一(指揮)

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 ◆ごあいさつ

 昨年以来、我々の母国語を用いて新しいオペラを作り上演するという営みは、私どもにとって非常に大きな重心を占める仕事となりつつあります。字幕を用意しなくても、異国の歴史の予習を強いなくても、そのまま、直接、客席の皆様の心のやわらかい部分に通じることの悦楽に味をしめてしまいました。そうした私どものわがままも日頃の皆様の多大なるご支援あってこそと、ここに改めて心からの感謝を申し上げます。
 今日披露いたします新作『瘋癲老人日記』は、喜劇です。昨年上演した『卍』と同じく谷崎潤一郎の小説を題材に採っております。皆様には神様か仏様にでもなったような気持ちで腰掛けていただき、目の前に現れる老人の姿をただただ眺めてくだされば、それだけで充分お楽しみ頂ける内容となりました。が、よりいっそうお楽しみいただくための手がかりとして、いくつかの事柄をここに記しておこうと思います。


 『瘋癲老人日記』は死とエロティシズムの二元論の壮絶な対決である。とは、三島由紀夫の指摘です。死と性を考えるとは、そのまま生を考えることに繋がります。いくらでも重々しく書けるモチーフと言えますが、谷崎本人の筆致もそうであるように、一種の諧謔のなかでこれらを捉えてみたいと考えました。
 擬似的な日記体の原作を舞台作品化する上で、いくつもの魅力的な場面を省く必要に迫られました。遠目には見えない事象、セットの転換の難しい事象などです。原作の世界を愛する一人として何より心苦しい作業でしたが、主人公・督助の部屋で物語のほとんどを進めることとし、「死と性を諧謔のなかに捉える」という一点に絞って執筆しました。
 死と性を諧謔のなかに捉えるということ。オペラの世界には、この世を去った人物から劇が始まるプッチーニの『ジャンニ・スキッキ』、主人公が劇の途中でこの世を去るモーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』およびヤナーチェクの『利口な女狐の物語』という先例があります。これらの先達の偉大な仕事から多くの智慧を学びました。

 原作冒頭で触れられる歌舞伎『助六』と地唄『残月』を尊重しました。また、昭和三十年代の空気を表現する試みとして、颯子の性格をドドンパのリズムで表現しました。あの頃のラテン歌謡のミュージシャンたちがフィリピンの楽団を参考に編み出した純国産ラテン・リズム(?)で、アイ・ジョージが名付け、渡辺マリや美空ひばりが歌い一世風靡しました。流行歌や俗謡の芸術音楽上での展開という古くから数多ある例に倣ったものです。

 私ひとりの責任で出来るのは脚本と音楽を書くところまでです。そこから先は、演者たちの個性と努力によって、紙の上の観念上の督助と颯子が、肉がつき血の通った督助と颯子へと変貌していきます。稽古を重ねるなかで、颯子に踏まれることによって生命の輝きを増していく督助晩年の姿が、ありありと彫塑されていきました。願わくは、この作品が、己の本有に立ち返り寿命を全うしていくすべての人々への讃歌となりますように。

2018年12月7日
西澤健一

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 ◆あらすじ

 ◎第一幕
 【第一場】歌舞伎「助六」を見終え、新宿伊勢丹店内を歩く督助夫妻、浄吉夫妻。目当てのものが見つからない上に神経痛が痛む督助、小言を言う千代をよそに、ブランド物のバッグに目を奪われた颯子は…
 【第二場】書斎兼寝室。地唄「斬月」を歌いながら自分の葬式を夢想する督助。督助の血圧を測る住み込みの看護婦・佐々木。千代に連れられ長女・陸子が入り用の金を借りに来る。が、督助は娘の頼みを受け付けようとしない。
 【第三場】督助の大声を聞きつけた颯子、千代と陸子を嗜める。家の権力を握りはじめた颯子の姿に満足する督助は、ふとした話の流れから颯子の足を触る機会を得る。が、調子に乗ったあまり平手打ちを食らってしまう。そこに督助の甥っ子、春久がやってきて…
 【第四場】春久と颯子のただならぬ仲を感じて心中穏やかでない督助。浄吉には黙っておくと颯子に告げるが、颯子はそれをかわして、督助を風呂場へと誘う。思う存分颯子の足を愛でた督助に、颯子はとある要求を突きつける。

 ◎第二幕
 【第一場】日記を書く督助。母の夢を見たこと、颯子に恋をしていること、死んだ後も颯子に踏まれていたい欲望を、密かに日記に綴っていく。
 【第二場】千代と陸子が知人から「面白い話」を聞き、督助に報告しに来る。いわく、後楽園ホールの客席に春久と颯子がいたこと。颯子の指には光輝くものがあったこと。問い詰める千代と陸子、逆上する督助。夫婦喧嘩と親子喧嘩と姉弟喧嘩の果てに…
 【第三場】佐々木に付き添われしょげている督助の元に、浄吉と春久の子、経助がこっそりと見舞いに来る。小さな子どもの優しい言葉に涙が止まらなくなる督助。経助に続いて浄吉も見舞いに来る。自分の息子の言葉に心の動く督助。
 【第四場】自室に颯子を呼んだ督助、足を拓本に採りたいと願い出る。タンポに朱墨を含ませ颯子の足を叩く督助は、興奮のあまり血圧が上がり過ぎ、ついに痙攣に襲われ…

 ◎原作からの主な変更点

 ◇貨幣価値は現在のものを適用。
 ◇名前の記載の無い督助夫人の名を「千代」と定める。谷崎の最初の妻の名から。
 ◇次女・五子を省き、督助の娘は陸子ひとりに統合。
 ◇佐々木の出身地を埼玉から大阪に変更。原作にある関西の香りを温存する試みとして。
 ◇本所割下水(現・墨田区)出身ということを鑑み、督助と千代の台詞に江戸言葉の発音を適用。颯子や春久などは現代の標準語に。先述の通り、佐々木は大阪言葉に変更。

2018年7月31日火曜日

谷崎潤一郎原作「瘋癲老人日記」オペラ化 12月7日初演

 昨年11月に初演、今年5月に再演したオペラ「卍」には多くの皆様にお出でくださいまして本当にありがとうございました。おかげさまでたいへんな好評をいただき、次回作の呼び声もございましたので、この度、同じく谷崎潤一郎の原作「瘋癲老人日記(ふうてんろうじんにっき)」をオペラ化し、12月7日、めぐろパーシモンホール小ホールにて初演致しますことを報告させていただきます。
 
 配役は、人の営みの能力を失いながらもなお好色旺盛な資産家の老人・督助をバリトン・岡元敦司。その督助が惚れた足を持つ息子の嫁・颯子にメゾソプラノ・新宮由理。その颯子の不倫相手にして督助の甥っ子・春久に横山慎吾。ちょっぴり小うるさい督助の付添の看護婦・佐々木に津山恵。
 
 以上「卍」メンバーに加え、日頃は「婆さん」と呼ばれ邪険に扱われる督助の妻・千代(※注 原作には名前の記載が無い)に今回初参戦のソプラノ・原千裕。督助の身を唯一案じてくれる小学生の孫・経助に森晴子。台詞のみの登場で、督助の娘のおしゃべり女・陸子(くがこ)に女優・藤田みか。颯子の旦那にして督助の息子・浄吉に俳優・西村功貴。(敬称略)

 「死んでも君に踏まれていたい」 

 死ぬまで…いや、死んだ後も…自分という人間を全うして一体何が悪いのか。そんなメッセージを込め、喜劇として、コメディとして、人生の讃歌として、自分の心を押し殺して生きている現代人たち(と、変態ドM足フェチ野郎ども)に捧げるオペラ。いよいよ始動します。

   * * *

 ※オペラ「瘋癲老人日記」

 原作:谷崎潤一郎
 作曲、脚本、指揮:西澤健一

 督助:岡元敦司(バリトン)
 颯子:新宮由理(メゾ・ソプラノ)
 佐々木:津山恵(ソプラノ)
 春久:横山慎吾(テノール)
 千代:原千裕(ソプラノ)
 経助:森晴子(ソプラノ 子役)
 浄吉:西村功貴(俳優)
 陸子:藤田みか(女優)

 演奏:室内アンサンブル・ラボ

 2018年12月7日(金)
 19時開演(18時30分開場)
 めぐろパーシモンホール 小ホール

 料金
 指定席(プログラム付き 前から6列まで)6,000円
 自由席 5,000円

 制作:「卍」プロジェクト

 チケットの申し込みは8月7日午前10時から
 電話03-6421-1206(スタジオ・フレッシェ)




2018年6月19日火曜日

オペラ「卍」再演 5月30日・日本橋公会堂

 去る5月30日。日本橋公会堂にてオペラ「卍」の再演が行われました。


オペラ「卍」全3幕

作曲・脚本 西澤健一
原作 谷崎潤一郎

演出 榊原利彦

キャスト
 徳光光子 新宮由理
 柿内園子 津山恵
 柿内考太郎 横山慎吾
 綿貫栄次郎 岡元敦司

演奏・室内アンサンブル・ラボ
 薄田真希(フルート)
 石井由紀(オーボエ)
 木原亜土(クラリネット)
 木原英土(ホルン)
 三ツ木摩理(ヴァイオリン)
 佐藤茜(ヴァイオリン)
 力久峰子(ヴィオラ)
 榊原糸野(チェロ)
 米丸咲季子(ピアノ)

指揮・佐藤宏充


再演にあたり 西澤健一

 部屋でひとり、この世には実在しない恋人たちの情熱に耳を傾けていた頃、仲間の尽力と聴衆の皆様の声とに支えられ、早くも半年後には再演の日を迎えられることになるだろうとは全く想像しておりませんでした。改めて皆様に感謝を申し上げます。
 この度の再演にあたり新たに得られた才能の力、すなわち、オペラに熟達した佐藤氏の指揮、様々な演劇の技術を網羅する榊原氏の演出によって、私もまだ「卍」の全てを知らずにいたことに思い至りました。私たちの言語で、私たちの手によって、ひとつの舞台を編むとはなんと幸福な営みでしょうか。今日ご覧の皆様方にも(あまり仕合せとは言えない愛憎を描いた物語ですけれども)どうか、その幸せが伝わりますように。

第一幕。光子(新宮由理) と園子(津山恵)の二重唱。

 第二幕の四重唱。左、綿貫(岡元敦司)右、孝太郎(横山慎吾)

第三幕冒頭。孝太郎を誘惑する光子。 

第三幕最後、三人の服毒心中(写真=堀江男二)

2018年5月16日水曜日

日本歌曲を歌ふ人の爲に ~ 歷史的假名遣と發音の關係

 現代の私達は昭和二十一年内閣告示に據る國語改革、所謂「現代かなづかい」に基いた表記を通して日本語を習得します。頑迷なる文學者や何かと喧しい右派政治家の主張を斥け、戦後日本民主化の一環として成立した「現代かなづかい」は、一見すると發音通りの表音表記體系を築いたやうに思へます。
 發音と表記の相違は明治の頃より指摘される處でしたが、世界の事情を鑑みるに、「h」を發音しない伊語佛語などは讀まない乍らも綴に温存してあります。ほぼ綴字通りに讀む獨語に於いても heute をホイテと讀む如く、一定の特例的綴字の有るは不思議ならざる事象と云へます。然るに、我が國に於いては、「思ふ」を「思う」と「h」の綴を總て取去り、「てふ」は「ちょう」だと特例的綴字を認めぬ方針となり、無自覺にも無邪気にも、私達と言葉との關係を根本から覆す亂暴を、政治の力に據つて、母國語に對し働いて了つたのであります。
 此の問題は樣々な見地から樣々に申し上げることがありますが、今は此処迄にしておきませう。
 日本歌曲を歌ふ皆樣に於かれましては、瀧廉太郎先生、山田耕筰先生以下、明治から戦前生まれの作曲家は皆歷史的假名遣に據つて日本語に親しみ發音を習得してゐることを思い出されて下さい。當時の作曲家は歷史的假名遣に據つて旋律や和声を考へ、作曲してゐることを想つて下さい。歷史的假名遣は千年の蓄積に基づく表音表記體系でありますから、「現代かなづかい」では犧牲にせざるを得なかつた繊細な音素を余すところ無く含んでをります。故に、現在の私達が歷史的假名遣を學び、その發音のあらましを學ぶとき、戦後の作曲家の手に據る歌曲作品も美しく發音出來るであらうことも又事實であると申し上げます。生理に叶つた美しい發音をすれば声帯に負担が掛からなくなるのも自明の理ですから、日本歌曲も歌い易くなるに違ひありません。

 ◇語中にある舊假名ハ行は二重母音と心得べし
 イエズス会宣教師ヴァリアーニに據つて、天草本と呼ばれる「平家物語」が全編ポルトガル系ローマ字で活版印刷されたのは安土桃山時代、文禄元年(1592 年)のことでした。此処にその題字部分を引用してみませう。

NIFON NO COTOBA TO Historia uo narai xiran to fossuvrv fito no tame ni xeva ni yavaragvetarv Feiqe no monogatari (日本の言葉とヒストリアを習ひ知らんと欲する人のために世話に和らげたる平家の物語)

 注目して戴きたいのは「日本」「欲する」「人」「平家」等のハ行音が何れも「f」音で書かれてゐることです。此れは當時「ニフォン」「フォッスル」「フィト」「フェイケ」等と發音されていた事を示してをります。
 伊語佛語等どの國の言語の例にも見られるやうに、ハ行音は長い歷史で大變摩耗し易いものであります。日本語に於いても、江戸時代以前迄は「f」音(此れは欧米語のやうに下唇を上齒で嚙む音ではなく、両唇の摩擦音、ロウソクの火を吹き消すやうに口をすぼめた音)で發音されてゐましたが、語頭及び幾つかの例外を除き、語中語尾のハ行音は両唇接近音へと變化しました。此等をハ行転呼音と云ひます。

かは(川) カファ kaɸa → カウァ kaβ̞a  → かわ
こひ(戀) コフィ koɸi → コウィ koβ̞i → こい
うへ(上) ウフェ uɸe → ウウェ uβ̞e → うえ
かほ(顏) カフォ kaɸo → カウォ kaβ̞o  → かお

 更に遡れば上代日本語時代以前、卽ち奈良時代以前には「パ」で發音されていたと考へられてゐます。
 ハ行転呼音は現在ワ行で表記されてゐますが、ワ行の發音とも當然違ひます。戀は「こゐ kowi」ではありません。「w」の子音があるのではなく、「f」や「u」が其儘抜け落ち直前の母音と二重・三重母音を形成してゐる物と聽き取れます。「ko/i」の二拍ではなく「koi」と一拍で發音するのです。ア行を明瞭な母音とすれば、語中ハ行は弱い母音と考へて構ひません。以下に動詞「思ふ」の變化を擧げるので實際に發音してみませう。

思はない om[oa]nai・om[oua]nai オモァナイ・オモヮナイ
思ひます om[oi]mas オモィマス
思ふ om[ou] オモゥ
思へば om[oe]ba オモェバ
  ※[ ] デ括ツタ部分ヲ二重・三重母音デ發音サレタシ

 越谷達之助作曲『初戀(石川啄木詞)』の「初戀の痛み」なども、「はつこいのいたみ」ではなく「はつこひのいたみ」と考へることで漸く正しく發音出來ることが、此れでお分かり戴けませうか。戀を「こひ」と二重母音で發音すれば、自ずと「痛み」の「い」もア行の強さを持つた「い」になるでせう。
 練習では敢えて中古日本語の發音を試すのも効果的です。「コイ」でも「コヒ」でもなく「コフィ」と發音し、最後の「フィ」の形の儘、暫く口の動きを止め、能く體に覺えさせることによつて發音を矯正して徃きます。

ファトゥ・コフィ fatu・kofi
↓ ハトゥ・コウィ hatu・koui
↓ ハツ・コィ  hats・koi

 タ行音は現在「ta・chi・tsu・te・to」等と、チャ音・ツァ音が入混じつた渾沌の樣を呈してゐますが、昔は單純に「ta・ti・tu・te・to」と發音してゐました。しかし、上記「初戀」の「ハ」を「ファ」で何度も發音するうちに、段々「tu」の「u」が面倒臭くなつてくるでせう。その「u」が抜け落ち、代はりに「s」が入つて來るのです。
 日本の文字には子音を單獨で記述する術がありませんが、だからと云つて必ず母音を含めて發音しなければならないと云ふ法はないのです。音便などは子音同士が衝突した痕跡ですし、連續して發音する方が自然と云へる子音が幾つかあります。皆さんも「江口洋介(やうすけ)」さんの名前を「yo/u/su/ke」ではなく「you/ske」と無自覺に發音してゐるでせう。語中の s と k の連續等が其れに當たります。
 歐州式に表記すれば、現在の「初戀」は「hats・koi」の二音節から成る單語と解釋出來ます。真面目な人ほど「はつこい ha/tsu/ko/i」と夫々の母音をしッかり歌つてしまいがちですが、さうではありません。
 さて、「現代かなづかい」でも助詞の「は」だけは「は」と書き「ワ」と讀む傳統が殘つてをります。この「は」も當然「ファ」でありました。上記の説明に準じ、「は」の直前の單語と二重・三重母音を形成します。

 ◇イ段・エ段・オ段に甲乙の二種を見附けたり
 上代日本語の時代は万葉假名と云つて、漢字を日本語の發音に當て嵌め用ゐてをりました。その研究から、イ段では「キ・ギ・ヒ・ビ・ミ」の五音、エ段では「ケ・ゲ・ヘ・ベ・メ」の五音、オ段では「コ・ゴ・ソ・ゾ・ト・ド・ノ・モ・ヨ・ロ」の十音に甲乙の二種の別があつたことが判つてきました。此れを八母音説と云ひます。煩雑になるので此処では詳しく取り上げませんが、甲乙は同音に画一化されたと云ふのが研究者の見解です。
 然し乍ら、深く發音する母音と軽く發音する母音の二種の別は現在でも確かめることが出來ます。以下の二つの單語を發音し、口の開き方、音の違ひを能く觀察して下さい。

腿 momo / 心 kokoro

 恐らく、「心」を發音した際の口は淺く、「腿」を發音した際の口は深く開いたことでせう。試しに「腿」と發音した「o」の形を保つた儘、「心」と發音してみて下さい。云ひ難いはずです。子音 k の舌の當たる位置に違和感を覺えるはずです。「皇祖皇孫」ならばどうでせう。因みに「心」は上代の東國方言で「ケケレ」と發音されてゐた位で、軽く明るい響きを持つてゐるのです。學者に據る正式な分類とは違ひますが、此の文章に於ける便宜の爲、「腿」のやうな深めの發音を甲類、「心」のやうに軽い發音を乙類とします。

 ◇ワ行單語の母音は深めに發音せざるべからず
 「現代かなづかい」ではア行に纒められて了つた單語が幾つもあります。歷史的假名遣ひでは「お」「ほ」「を」と書分けてゐた單語が、殆ど総て「お」になりました。例えば「大きい」は「おおきい」ではなく「おほきい」であり、先に述べた通り「オフォキ ofoki」と發音されてゐたものです。
 一方、男は「をとこ」であり、女は「をんな」、可笑しは「をかし」です。此等はワ行の單語であつて、wotoko、wonna、wokasi 等と發音されてゐました。この「ゐました」も wimasita です。絵描きは「ゑかき」でwekaki となります。先程の甲乙二種の別で云へば、ワ行の子音には甲類母音しか附きません。據つて、「心」のやうに軽く明るい母音は附かないのです。現在のワ行の發音は、ワ音を除き盡く「w」が脱落しましたが、暗く深い母音を發音することによつて、ワ行であることを表現できます。
 ハ行を試しに「ファ」と發音してみたやうに、これも又「ウィ、ウェ、ウォ」と云い、その口の形を能く體に覺えさせることで正しい母音の發音が得られます。

ウォトコ  wotoko → オトコ  otoko
ウィマシタ wimasita → イマシタ imashita
ウェカキ  wekaki  → エカキ  ekaki 何レモ甲類

 ワ行のウと云ふものもあります。文字で判別出來ませんが此れには「兎 wusagi」「嘘 wuso」「飢ゑ wuwe」等の重要な單語が含まれてをり、かの有名な小學唱歌『ふるさと』の冒頭「うさぎおひし」の「う」はワ行のウであつてア行のウではありません。これも又、試しに wusagi と發音し、その口の形を能く覺える事が肝要です。
 因みに、ア行のオは全般的に乙類のオであつたと云ふ説もあります。能く辭書を参照し、「を」から始まる單語は甲類で、「お」から始まる單語を乙類で發音することによつて分別できるでせう。言わずもがな、「おほきい」「かほ」等の「ほ」は直前の母音と共に二重母音を形成し、「お」よりも弱く發音すべきものであります。

 ◇カ・ガ行とクワ・グワ行を能く分別すべし
 「現代かなづかい」ではカ行とクワ行が同じ「カ行」に、ガ行とグワ行が同じ「ガ行」に纒められました。クワ、グワは夫々「くゎ、ぐゎ」と「わ」を小さく書く場合もありますが、同じ物と考へて構はないでせう。
 カ・ガ行は夫々「ka」「ga」音ですが、クワ・グワ行は伊語で云ふ處の「qua」「gua」音の類であつて、伊語の場合却つて「k」音がありませんが、亜剌比亜語・波斯語には此等と同樣の強弱・深淺があります。
 現在はカ・ガ行とクワ・グワ行の分別をしませんが、少なくともクワ・グワ行に乙類母音の附く機会はありません。據つて、クワ・グワ行は必ず深い響きになります。具体的には舌根を前の方で破裂させてカ・ガ行、奥の方で破裂させてクワ・グワ行。特に「クワ・グワ」音を昔の發音で練習すると良いでせう。クワ行で讀む物に火星「くわせい」、山茶花「さざんくわ」光明「くわうみやう」、先に例に出した皇祖皇孫も「くわうそ」「くわうそん」と書かれます。グワ行で讀む物には画工「ぐわこう」月日「ぐわつぴ」等があります。 

火星  quasei 画工 guakou
山茶花 sazanqua 月日 guappi 光明 quaumiyau
   u 音ヲ含ムハ練習ノ爲ナレバ後ニ外シテ發音サレタシ

 接続詞「が」のやうに、語中の「が」行は鼻濁音で發音することがあり、聲樂では一般的に用ゐます。但し、鼻濁音で發音する「ぐわ」は絶對にあり得ません。海外「かいぐわい」等、此れを「かいか゜い」と鼻濁音で發音してはなりません。

 ◇古語辭典に載つてゐる形での動詞の終止形に着目
 國語辭典には歷史的假名遣でどのやうに表記するか、「かい - がい【海外】―グワイ」のやうに必ず載つてゐます。試しに「たえる」の項をご覧ください。「耐える・堪える」と「絶える」が隣同士に並んでいるでせう。しかし「耐える・堪える」にのみ「タヘル」の註があるはずです。更には文語での表記、つまり古語辭典に載つている形での動詞の終止形も必ず確かめられます。「耐える・堪える」は「たふ」、「絶える」は「たゆ」とあるはずです。
 「耐ふ」と「絶ゆ」。「現代かなづかい」では双方共「たえる」の表記となりますが、歷史的假名遣では「耐へる」「絶える」と變はります。「耐ふ」はハ行、「絶ゆ」はヤ行の動詞であるが故に、發音の由来も又異なります。

耐ふ tafu 耐へる taferu → t[ae]ru
絶ゆ tayu 絶える tayeru → ta-eru

 語中のハ行は二重母音化するの原則で「耐へる」の「たへ」は繫がります。しかし、「絶える」は「y」が挾まるが故に「e」音が強調されるので、この「たえ」は繫がりません。他にも、「燃える」なども古語辭典では「燃ゆ」のヤ行動詞ですから「燃へる」ではありません。「絶える」「燃える」の「え」は重きを置いて良いのです。

 ◇「たう」と「たふ」の一寸した違ひを魅せなさい
 以上までに擧げて來た諸原則を振り返れば、「現代かなづかい」では双方共「とう」で表記される「ありがとう(有難う)」「とうとい(尊い)」等の例も、歷史的假名遣では「ありがたう」「たふとい」と異なつた表記となり、發音も又工夫すべきことに自ずと思い至ることでせう。
 「ありがたう」は「ありがた・し」で「ありがた」までが語根。「有難く(存じます)」の「く」が「う」に變化した形であるが故に「たう」。この「う」は重きを置いて良いものです。
 「たふとい」は「たふと・し」で「たふと」までが語根。語中のハ行は二重母音化するの原則で「t[ou]to」と發音すると、「たう」と「たふ」が美しく區別出來ます。「あう/あふ」「かう/かふ」「さう/さふ」「いう/いふ」等も同樣と覺えて構はないでせう。 

 ◇辭書を讀まれよ
 聲樂の勉強をしてゐる音樂の學生で、伊語・獨語・佛語等々の歌曲を歌ふに當たり其等の辭書を携へない者は一人もゐないに違ひありません。意味を調べ、發音を調べ、一つ一つ叮嚀に音符を讀み込んで徃くに違ひありません。然し乍ら、日本歌曲を歌ふに當たり國語の辭書を開く者は何人ゐるでせう。辭書を開かなくても樂譜に假名があるので一應は歌へます。その發音はどれほど美しい發音なのか、考へたことはあるでせうか。
 日本歌曲の實演は殆ど歌手の能力に恃むに委せ、系統だつた學びの場は確立されてゐるとは云へず、殘念なことに、驛の自動放送のやうな機械仕掛けの日本語が、ピヤノに乘つて流れて來る場面も多く見られます。
 冒頭にて申し上げた通り、現在の私達は「現代かなづかい」と云ふものに慣れ親しみ、此れに據つて生活してをります。この表記法が發明されてまだ百年経つてをりません。この百年足らずの間に、私達は日本語が長年掛けて育んで來た樣々な音の豊かさを認識出來なくなつて了つてゐるのです。
 明治以降以降幾つもの忘れ難い旋律が日本の歌曲史を彩つて來ましたが、此等を美しく傳え徃くのも私達音樂家の仕事でありますから、此の短い文章に書いて來た内容を思ひ出し乍ら、能く辭書を讀み、其の單語が歷史的假名遣ひではどのやうに書かれるのかを調べ、自らの發音を調整して下されば幸ひです。

2018年3月2日金曜日

【楽曲解説】さなぎ/アリッサ・モリス

 カンザス州立大学で教鞭を執り、自身も名手として活躍するオーボエ奏者兼作曲家アリッサ・モリス氏(1984~)の手による組曲「さなぎ」は、本日演奏のキャロリン・ホーヴ氏の委嘱により作曲され、2015年6月コロンバス州立大学シュオブ音楽学校にて初演された。イングリッシュ・ホルンのためのオリジナル作品であり、当公演は日本初演にあたる。
 「『さなぎ』は、一匹の芋虫が蝶へと変態していく様を描く音楽的比喩ですが、この物語には『霊的に変化すること』というもう一つのメッセージが含まれています(モリス氏)」
 3つの楽章は「芋虫」「さなぎの中で」「蝶」と名付けられており、イングリッシュ・ホルンによって冒頭に提示されるテーマは、ほぼそのままの形を保ちながら全曲を通し現れるのだが、その景色はそれぞれに異なっている。スウィングのリズムでのっそり這う「芋虫」と、ひらひらと分散和音に飛ぶ「蝶」は同じ個体=旋律である、という趣向だ。
 ただし、単に蝶の変態を音楽で表現したというわけではないようだ。この作品の眼目、孵化と羽化とに挟まれた中間楽章「さなぎの中で」を、作曲者はイエスの死と復活になぞらえて説明している。「神の偉大な賜物を通して経験する霊的な再生(モリス氏)」。夜明け前がいちばん暗いというような、これは蝶の生涯を借りた宗教的寓話なのだろう。楽しく、またロマンティックな佳品である。(「ダブルリードの夕べ」於・トッパンホール)