2017年11月17日金曜日

オペラ 卍(まんじ)全三幕


◎オペラ 卍(まんじ)全三幕
op.100 Manji - Oper in 3 Akten
原作 谷崎潤一郎
脚本 西澤健一
配役 徳光光子(メゾ・ソプラノ)美しい羅紗問屋の娘
   柿内園子(ソプラノ)孝太郎の妻
   柿内孝太郎(テノール)園子の妻、弁護士
   綿貫栄次郎(バリトン)光子の異性の恋人
作曲年月 2017年8月~10月
演奏時間 100分(30,40,30)
楽器編成 フルート(ピッコロ持ち替え)、オーボエ、クラリネット(バス・クラリネット持ち替え)、ホルン、ヴァイオリン2、ヴィオラ、チェロ、ピアノ
初演 2017年11月・豊洲シビックホール 新宮由理(光子)、津山恵(園子)、横山慎吾(孝太郎)、岡元敦司(綿貫)、薄田真希(フルート)、石井由紀(オーボエ)、木原亜土(クラリネット)、木原英土(ホルン)、三ツ木摩理、佐藤茜(ヴァイオリン)、力久峰子(ヴィオラ)、榊原糸野(チェロ)、米丸咲季子(ピアノ)西澤健一(指揮)

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◎Maestro Interview 西澤健一
 嫉妬という感情をどのように正当化するのか。
 その言い訳の過程の、どうしようもない人間の哀れさ…
 これはおそらく和製「カルメン」になる。そう思っていました。
耽美派の巨匠・谷崎潤一郎の問題作「卍」を題材に、美しい第一回オペラ作品を書き上げた作曲家・西澤健一氏に、そこにこめられた思いを聞きました。

◆オペラを手がけようという思いは、いつ頃からお持ちでしたか?準備もされてきたのでしょうか?

小説を改作してテキストにしたものを声楽作品にするという試みは、2006年の「春は馬車に乗つて(横光利一・原作)」が初めてでした。もっとも、オペラではなく連作歌曲の形式で、僕ではなく畏友、岸田洋一さんの手によるテキストです。このテキストを読んで文楽の舞台を連想した僕は、複数の登場人物やナレーションを義太夫のように一人の歌手に歌わせることにしたのです。今のところ「素浄瑠璃」でしか公演していませんが、ここに演技する人なり人形なりがいたら、もっと伝わるところもあるだろうに、などと考えました。自分がオペラに向かっていることは、その頃から自覚していました。
坂口安吾の短編を編み直したテキストで連作歌曲を書いたり、子ども向けのオペレッタを書いたり、綿貫を演じる岡元君のディナーショーのためにミニ・オペレッタ(むしろショート・コントと言ったほうが良さそうですが)を台本から書き起こしたり。自覚のないところで少しずつ「卍」に向けた準備や実験をしていたように思います。

◆第一回作品では、どのような作品を作りたいと思われましたか?

とりあえず今回に限って言うと、登場人物が全員主役であるというオペラです。光子さんを一応は中心人物に据えていますが、一幕は園子さん、二幕は綿貫、三幕は孝太郎が文字通りの主役として振る舞います。原作は園子さんの一人称で描かれていますけど、それをそのまま舞台で演ったら非常に説明臭いものになるでしょうね。説明を一言聞き逃したら意味がわからなくなるようなオペラは良くありません。あくまで「音楽」を持ち帰っていただきたいからこそ、オペラにするんですから。
それぞれがそれぞれの思惑で動くからこそ物語が編まれるのであって、その逆はあり得ない。物語の筋を逆算して生きているような人間なんかいません。非常に根本的なことですけれども、この根本が、物語の中の人物たちに力を与えるのだと思います。

◆谷崎潤一郎の「卍」をオペラ化しようと思われたのはなぜでしょうか?

かねてからオペラ映えする題材であると思っていたのです。ちゃんと音楽化できさえすれば、これはおそらく和製「カルメン」になる。そう思っていました。もっとも、ホセより先にミカエラがカルメンに熱を上げ、エスカミーリョがナイフの代わりに新聞で三人まとめて殺すことになるんですけど。
谷崎は…正体不明な人です(笑)。あの人は基本的に見てるだけ、聴いてるだけなんです。「わたくし」というものの存在を上手に消して、作家の側から断定することをとにかく避ける。録画録音に徹する人と言いますか、観察の人。晩年、口述筆記で作品を作るようになった頃、わざわざ際どいシーンを口にして女性の助手の顔色を観察していたとか。非常に谷崎的だと思いますが(笑)、それにしても、極端に耳の良い人です。

◆「卍」は何度も映画化されている作品でもありますが、新たなアプローチを考えられましたか?どのような魅力を表現したいと思われたのでしょう?

4本も撮られているんですよね。最も古い64年版(増村保造監督、岸田今日子・若尾文子主演)は比較的原作に忠実だと思いますし、台本を書くにあたって参考にした部分もあります。若尾文子も美しいし。98年版は未見です。ほかの2本(83年版、06年版)について、個人的な感想を申し上げるのは控えておきましょう。
新しいアプローチを取り入れようとは思いませんでした。元々が面白いんですから、余計なことをしたら野暮ったくなるだけです。ただ、台本化にあたり、原作の文章を思い切って省かなければならないのは当然のことで、それに従い内容の抽象化ということは起こるでしょう。僕の考えや目線というものも必然的に含まれることになります。
例えば、園子さんと光子さんの関係、すなわち同性愛ということについて。この作品を決定付けている「設定」かも知れませんが、これ自体が「主題」であるとは僕には思えないんです。ひとつ匙加減を間違えたら、このオペラはポルノにするしかなくなるでしょうね。谷崎の文章はたいへん艶っぽいですが、ポルノではありません。
それよりも、例えば一幕での孝太郎、二幕での綿貫が、嫉妬という私的な感情をどのように正当化するのか。その言い訳の過程において、どうしようもない人間の哀れさが現れる。法律めかした「誓約書」を手にする綿貫は、まったく平凡そのものだという意味において道化です。そんな回りくどいことをせずとも素直になれば済む話だし、いくらか可愛げもありそうなものなのに。だから光ちゃんに嫌われるんですよね(笑)
一方、三幕での園子さんは孝太郎さんよりも自分自身を強く責めています。正当化は硬直化でもあって、光子さんは運命に殉じる覚悟をする。ここに近松の「曽根崎心中」の文句を引用しました。谷崎があまりにあっさり書くので補足せざるを得なかったせいでもありますが…ちょうど「観音」という素材も共通していますしね。

◆関西弁にこだわられたようですね。台本のことばへのこだわりなどお聞かせください。

僕は父方も母方も昔からの東京の人間なので、当然、大阪言葉のネイティブではありません。「こだわり」などと言うカッコ良いものではなく、大阪の方からお叱りを受けないよう必死に勉強したというほうが正しいでしょう(笑)。
大阪の古い世代の芸人さんや噺家さんの録音を何度も聴いたり、声に出して真似してみたり…漫才や落語は好きなので苦にはなりませんでしたが、あとはアクセント辞典とにらめっこして。それでもきっと正しくないアクセントがあるんじゃないかと思います。どうか堪忍していただきたいところです。
ただ、大阪の言葉を勉強していく上で不思議な発見をしました。大阪の言葉は非常に厳格な音程を持っていますね。中国語の四声のような厳格さです。その音程を楽音に翻案していくと、日本的な音程の上にちょうど良い音があるんです。なるほど、だから日本の音楽はあのような発展をしたのか。やはり京阪地域が日本文化の中心にあって、そこから様々なものが派生していったのか。ということが、言葉を観察することでストンと理解できました。東京人である谷崎もまた、関東大震災を機に移住した関西の地で、翻訳中だった「源氏物語」と大阪の女性たちのしゃべくりが耳の中で結びついたことによって「卍」の着想を得ました。図らずも、僕は同じ経験をしたと言えます。…余談ですが、いま僕は、「卍」を書いた谷崎と同じ年齢なんですよ。

◆音楽的には、どのような点に注意、注力されたのでしょうか?4人の登場人物にそれぞれテーマもございますね。

先ほどの話と少し関係しますが、言葉がそれを指向している以上、日本の音程を使うことにも躊躇しませんでした。よく、日本の民謡は五音音階だ、ヨナ抜き音階だなどと言うじゃないですか。でも、それだけでは「ずいずいずっころばし」の「ぬけたらどんどこしょ」の転調が説明できませんよね。音楽学者の小泉文夫(1927~1983)と作曲家の柴田南雄(1916~1996)がそういうところを理論化しているんです。理論化され得るということは、そこから先の展望もあり得るということでもあります。
柴田南雄の方法はフーゴー・リーマン(ドイツの音楽理論家。1849~1919)の方法を応用したものと思われます。リーマンが理論化した転調はワーグナーやブラームスのもので、その延長線上にプロコフィエフがいます(この3人、とても同じ芸風には見えませんが、音楽理論的には似たもの同士なんです)僕自身今まで考えもしませんでしたが、大阪の言葉を観察したことがヒントになって、リーマンの方法と柴田南雄の方法の両方を組み合わせて使うということを思いつきました。
楽譜の上では面倒な転調が頻発することになってしまって、演奏者にはひどく苦労をかけていますが、いかにも複雑なものであるようには聞こえないと思います。光子のテーマ、綿貫のテーマ、柿内夫妻のテーマ、ほかにもいくつか大事な動機がありますが、その扱い方は、ビゼーやヴェルディやプッチーニ、あるいはムソルグスキーやドヴォジャークやヤナーチェクなど、重要なオペラ作家たちの知恵に学びました。

◆制作はスムーズだったのでしょうか?作曲を勧めていく過程でのエピソードなどを教えて下さい。

製作期間は約3ヶ月です。今日の公演は「卍」ではなかった可能性もありました。いくつか候補になる本が別にあったということです。ただ、権利関係のことでそれらの案を断念せざるを得ず、もう間に合わないから諦めようとしたところで、「『卍』だったら何とかなるかも…」と言ってしまったんです。僕もかなり血迷ってますけど、「よし!それで行こう!」などと応じる歌手もどうかしていると思います(笑)。
7月の終わりから台本を書き始め…いや、台本を書く前に地理がわからないから大阪の地図を書いたんですよ(笑)。初稿の台本が8月の頭。一幕の完成が8月の終わり。二幕の完成が9月の終わり、三幕の完成が10月中頃。作曲と稽古は同時進行でした。その稽古の様子を見ながら後続部分のアイデアを思いついたりもしました。稽古前は標準語なのに、終わるとみんな訛るんですよ、正しい京阪式アクセントで。それが妙に嬉しかった。
歌手たちからアイデアをもらうこともありました。「四重唱があったらいいよね」とか。別々の場所で同時に進行しているエピソードを原作から探し、双方を結びつけるキーワードで刺繍をするように脚本を組み立てたり。ラストのお経(法華経・観世音菩薩普門品)も「観音経ってあったよね」という稽古中の新宮さんの一言からの着想です。光子が本物の観音様になって、園子さんの悲しさがいっそう際立つ趣向になりました。

◆初演への期待、お客様へのメッセージなど今のお気持ちをお聞かせください。

泰西の名作は評価が確立されているのみならず、すでに何万と繰り返され上演されていますから、伝統という蓄積もあるものです。が、こちらはすべて一からの出発です。歌手も僕も試行錯誤の中で今日を迎えました。回数を重ねればもっと巧い方法も見つかるかもしれませんし、お見苦しい点、お聞き苦しい点、いろいろあるかと存じますが、それでも今日ご来場下さった皆様、応援くださった皆様に、心からの「おおきに」を申し上げます。わたしたちの言語で語られるオペラの楽しさをほんの少しでもお伝えできれば、これに勝る幸せはありません。(初演時プログラム掲載)

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 ◎ごあいさつ
 谷崎の描いた物語は、根源的であるがゆえに今日的なテーマを持っています。厳しく真面目な芸術作品であると同時に極上のエンターテインメントでもあります。非常にオペラ的な素材であるとかねてより思い続けてきました。私はこの狂おしい恋の物語に十年来恋い焦がれてきたのです。谷崎の残した美しい言葉の数々を音楽化できること、強力な仲間を新たに加え、再び皆さまの前にお披露目することができるのは大変なよろこびです。蛮勇と分かっていても恋をしなければ生きていけない皆さまに…これからする予定の皆さまにも…是非ご覧いただきたく思います。(初演時チラシ掲載)

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 ◎再演に寄せて
 部屋でひとり、この世には実在しない恋人たちの情熱に耳を傾けていた頃、仲間の尽力と聴衆の皆様の声とに支えられ、早くも初演の半年後には再演の日を迎えられることになるだろうとは全く想像しておりませんでした。あまり仕合せとは言えない愛憎を描いた物語の結末と違って、このオペラは大変幸せな出発を頂きましたことを改めて皆様に感謝します。この度の再演にあたり、指揮の佐藤氏、演出の榊原氏という素晴らしい才能の力を得られたのも幸運でした。いっそう滑らかに、つややかに、美しく磨き上げられるだろう「卍」の舞台に、どうぞご期待ください。(再演時チラシ掲載)