2016年10月10日月曜日

『連祷』について

欠陥だけを取り出してリストの揚げ足とりをする人は、その背後に隠されている本質までは深く見ていないのです。ところで、公平無私な評価というものは、本質を認識することなしには考えられません。(バルトーク『リストに関する諸問題』1938)

 8月23日、晩。
 池袋の西口、少し奥まったところにあるマレー料理店「マレーチャン」で、僕はライターの井内千穂氏とともに遅めの食事を取っていた。食事といっても前菜ばかりの軽いもので、ぱりぱりとえびせんを囓りながらタイガーとシンハーの瓶をお互い1本ずつ飲んだだけだった。二人とも深夜に書き物を控えていたせいである。ここの女将の濃さと言ったらウエストゲートパークのヤンキーたちの比ではない。が、この日は姿を見なかった。

 この直前、芸術劇場の大ホールでは東京室内管弦楽団のコンサートが催されていた。
 終演後、僕と井内氏は二人でこの日の作曲家に挨拶した。彼は関係者にもみくちゃにされていて、会話らしい会話はほとんどできなかった。僕は祝福の言葉とともに「『好き』がたくさん入ってましたね」と申し上げた。彼は満面の笑みで「全部詰め込んだよ」と答えていた。