2015年10月5日月曜日

「自称『共犯者』の問いかけたもの」

 月刊「音楽現代」2014年8月号に寄稿した文章です。

 もう僕の記憶も薄れつつありますし、今からまとめの文章を書くのも難儀なので、代わりにこれを転載しておこうと思います。バックナンバーもあるところにはあるみたいですけど、そろそろ手に入りにくい頃でしょうから(もともと手に入れやすい雑誌ではないですけど)。
 署名活動自体はサイト立ち上げから丸1年経ったところで打ち切りましたが、2万筆を預かる責任の重さが身に堪えたのはもちろんのこと、400字詰め原稿用紙にして約550枚分にもなる2,000件のコメント欄には胸を打たれました。新垣さん個人に、というよりも、音楽への愛に満ちた文章や、社会に鋭い目線を向ける文章の数々。どれも熱く、真摯なもので、保管しておくだけでなく社会共有の財産としてどうにかならないものか、と思いますが、どうにかならないものでしょうか。

 時間は取られるし仕事もしなきゃいけないしで、特に「白紙撤回」報道直後に頂いた数多くのメールには返信もままならず、失礼を致しましたので、改めて、サイト管理人として、協力してくださった皆様にお礼を申し上げたいと思います。今やすっかり僕の想像のナナメ上を行く活躍をしておられる新垣さんですが、「笑ってはいけない24時」で鼻にクワガタ乗せていたのには嫉妬すらしましたが、皆様のおかげでひとりの音楽家の社会的名誉が守られたことに、心から感謝します。

 現物は手に入りにくい、とは言っても、電子書籍版はまだ買えるようです
 署名サイトについて深く取材してくれたのは、フランスの放送局やらアメリカの新聞社やら、海外ばかり。日本の某放送局の取材は、正直に言ってあまり心地良いものではなく(しかも流れたし)、このような記事が書けたのは芸術現代社だけでした。ここで宣伝しても僕には一銭にもならないんですけど、僕がこの文章を書いた意図(さらには、僕に書かせた編集部の意図)が特集全体を見渡せばもっと明瞭になるとも思うので、もし良ければ、お買い求めください。ついでに、この号の真ん中らへんにある僕の連載「昭和音楽横丁」もご笑覧頂ければ、幸いであります。

2015年10月3日土曜日

2015年6月個展(動画)

 2015年6月、中部大学・三浦幸平メモリアルホールで行われた「第78回キャンパスコンサート 西澤健一作品展」の模様をまとめました。
   * * *
 【プログラム】
  「幻想小曲集第1巻」より I. コラール VI. 愛の歌
  アルト・サキソフォンとピアノのためのソナタ
  自殺者たち
  ピアノのための瞑想曲「ソニア」
  春は馬車に乗つて
  (アンコール)「原民喜の詩による3つの歌曲」より III. 悲歌
 【出演】
 西澤健一(作曲・ピアノ)堀江裕介(サキソフォン)岡元敦司(バリトン)
   * * *
 作曲者本人なのにいろいろと難はありますが、どうぞご笑覧下さい。

2015年6月8日月曜日

中部大学キャンパス・コンサート プログラムノート


 (アンコール:悲歌~「原民喜の詩による3つの歌曲」より)

 ◎第78回キャンパスコンサート「西澤健一作品展」
 ◇ごあいさつ
 
 本日は「西澤健一作品展」にお越しくださり、まことにありがとうございます。
 今日におけるクラシック音楽の演奏会は、そのほとんどが100年から300年前のヨーロッパで書かれた楽譜を演奏するもので、同国、同時代を生きる(まだかろうじて)若い世代の作家が自ら演奏する場面に立ち会う機会は、それほど多くないでしょう。
 「ひとり燈のもとに文をひろげて見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる(徒然草第十三段)」いにしえの作家を愛するとは素敵なことです。が、彼らの作品があまりに素晴らしいので、彼らもまた生身の人間であったことを、現代の我々はしばしば忘れがちになります。
 中部大学キャンパスコンサート。過去の公演記録を拝見するかぎり、作曲家の個展は僕が初めてのようで、たいへん光栄に思い、また恐縮しております。今日は僕の作品のなかから、ピアノ曲、管楽器のためのソナタと歌曲集を選び、用意しました。昭和53年新宿生まれの、まだ生きている37歳の男が今までに書いてきた音楽を通し、何百年、幾百万という人々が額づいてきた音楽という営みについて思いを巡らせて頂けるなら、これ以上の幸いはありません。
 

2015年4月9日木曜日

成都紀行


 ある成都の男が、バカンスを日本の沖縄で過ごしたという。
 美しく広がる青い空、きらきら光る青い海、そして燦々と輝く眩しい太陽。自然を心から満喫していたものの、男は次第に体調を崩し、ついに寝込んでしまった。何日も何日も寝込んでも一向に体調の戻る気配がない。仕方ないので医者に診てもらうと、医者は男を駐車場に連れ出し、車のマフラーにホースをつなげ、ホースにマスクをくくりつけ、それを男の顔に押し当て、エンジンをふかした。
 「…ああ、故郷の空気だ」
 こうして、成都の男は元気になったという。

2015年1月10日土曜日

ラスカ・ニューイヤーコンサート2015 プログラムノート

 ジーツィンスキー:ウィーン、わが夢の街
 
 ポーランド系の名を持つ生粋のウィーンっ子、ジーツィンスキー。彼の名を知らなくても、ひとたび旋律を聴けば、名テノールの熱唱や映画の挿入歌でお馴染みのあの曲だとわかる。「ウィーン、ウィーン。おまえだけが、いつまでも私の、私の夢の街なのだ」という歌詞は作曲者本人によるもの。作曲された1914年は第一次大戦の真っ只中。故郷へののどかな愛着と、勇敢で激しい愛国心とが入り混じり、混迷をきわめていく時代背景を感じさせる。

 グラナドス:スペイン舞曲第5番「アンダルーサ」(祈り)op.37-5
 
 19世紀末のバルセロナで活躍した作曲家、グラナドス。ピアノの名手でもあった彼の青年時代に書かれた12曲からなるピアノ曲集「スペイン舞曲集」の一曲であるが、即興的で情熱的、異国情緒豊かな色彩が多くの音楽家の心を捕らえ、様々な楽器のために編曲されていった。今日では彼の名刺となっている。イスラム時代の遺跡や街並みを想像させる「アンダルシア風」を意味するこのタイトルは、しかし作曲者本人ではなく、出版社によるものであるという。
 
 ドビュッシー:月の光
 
 ドビュッシーの人気曲「ベルガマスク組曲」の第3曲。前奏曲、メヌエットとパスピエという音楽用語でまとめられた曲集のなかに、ただ一曲、詩的な標題で挟まれる。ポール・ヴェルレーヌの詩集「艶なる宴」の一篇「月の光」から採られたものであるという(「ベルガマスク」の語もこの詩中にあるものだ。イタリア北部ベルガモ地方の踊りと訳される。)幸せを信じられない者の歌。仮面の下に隠された悲しみは、穏やかな月の光に溶けて、浄化される。

 サルツェード:夜の歌
 
 フランス出身のスペイン人、アメリカに活動の場を求めたハープ奏者であったサルツェード。彼の発案による特殊奏法はその後のハープ奏者や作曲家たちに大いなる影響を与えた。爪で弦をこすったり、楽器の胴を叩いたり。とかく新奇で難解な印象を与えがちな特殊奏法だが、この「夜の歌」では、それらがどこまでも細やかな表情で美しい旋律を切々と紡いでいく。まるで小洒落た酒場で爪弾かれるギターのような、静かで愛らしい音楽だ。

 モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 変ホ長調 Kv.364
 
 複数の独奏楽器と管弦楽とが交代しながら進められる「合奏協奏曲」というジャンルがバロック期によく利用されたが、少し時代を下り、より華やかに協奏曲の技術が取り込まれた「協奏交響曲」に発展して、パリやマンハイムに流行していた。モーツァルトはこれに並々ならぬ関心を示していたが、しかし多くを手がけなかった。この曲は、その数少ない完成された一曲。彼が作曲したすべてのヴァイオリン協奏曲よりも後に作曲されているためか、ヴァイオリンの書法の充実ぶりもさることながら、より鮮やかな色彩を浮き出させるためにヴィオラは半音高く調律するよう指示されており、素材の上でもヴァイオリンとまったく対等な立場を与えられているにも関わらず、2つの楽器の性格は明確に対比され、華麗ながらも陰影を帯びた彼一流の表現となって結実している。第1楽章、アレグロ・マエストーソ。第2楽章、アンダンテ。第3楽章、プレスト。
 
 シューベルト:交響曲第2番 変ロ長調 D125
 
 「魔王」や「野ばら」など、今日、人々がシューベルトを思い出す際に必ず触れられる歌曲を作曲したのは、1815年。この交響曲第2番も、彼がまだ18歳であったその年に書かれている。神学校を去り、代理教員として働き始めていた頃だ。作曲の動機は今となってはわからない。しかし彼の通っていた神学校にはアマチュアながら比較的大きな規模のオーケストラがあり、おそらくはそのような私的な演奏会のために書かれたのであろうと推察されている。モーツァルトやベートーヴェンという彼の憧れの大先輩たちの素材に胸を借り、戯れながら、彼は彼の個性を育んでいる最中だったようだ。どんなに快活で明るい開放的な少年であっても、突然仄暗い音を迷わず選んで書くあたり、「未完成」や「グレート」など後の成熟した彼を知る私たちが聴くと、思わず驚いたり、微笑んでしまうような場面が少なくない。第1楽章、ラルゴの序奏から主部アレグロ・ヴィヴァーチェ。第2楽章、アンダンテ。第3楽章、メヌエット(ほとんどスケルツォのようだ)、アレグロ・ヴィヴァーチェ。第4楽章、プレスト・ヴィヴァーチェ。