2014年3月21日金曜日

夏の前奏曲

◎夏の前奏曲
op.85 Le prélude d'été
作曲年月 2014年2月
演奏時間 10分
楽器編成 ピアノ(2台8手)
委嘱 連弾ネット
初演 ZOFO duet(Eva-Maria Zimmermann&中越啓介)、小林郁、吉田明美/2014年5月・仙台 仙台市戦災復興記念館 ピアノ・デュオ春の祭典2014~東日本大震災復興への祈りを込めて~

* * *


(2台8手の委嘱作が初演される「ピアノ・デュオ春の祭典2014~東日本大震災復興への祈りを込めて~」(総合監修:松永晴紀 仙台公演/5月1日(木)19:00開演 戦災復興記念館ホール 東京公演/5月4日(日)15:00開演 東京オペラシティリサイタルホール)のために寄稿したエッセイを掲載します。)

 10年前。2004年のことだった。

 楽譜を書き上げ一服しながら、僕は深夜のニュースを見ていた。
 7年に一度、諏訪大社の御柱祭が宴もたけなわであるという。木落しの坂から丸太ごと何人もの人間がごろごろ降ってくる様子が画面に映し出されていた。けが人何名、病院に搬送されました。死者はない模様です。この祭りに恒例の報道が、冷静に行われていた。
 「参加者の方にインタビューしました」
 丁寧で正しい発音の標準語が、装束に身を包み上気しきっているひとりの男に「どうしてそんなに燃えているのですか」と尋ねている。ぜいぜいと荒く肩で息をしている彼との落差があまりにも滑稽だった。が、しかし今でも忘れられないほどに、彼の答えは深く僕の心に刻みこまれることとなった。いわく、
 「御柱だからです。ただ、御柱だからです。自分でもよくわかりません」

 僕はしばらく黙りこんでしまった。
 そういえば岡本太郎も「死んで何が悪い、祭りだろ」と言っていた。彼は御柱に惚れ込んで、あの坂を巨木にまたがって下りるのだと、ごねたことがあるらしい。
 人のことは言えない。僕も仲間内にお祭り男と言われる人間である。
 5月の連休。僕の住む東京都府中市では大國魂神社の例大祭「くらやみ祭」の真っ最中である。人の背丈よりはるかに大きな直径を誇る6張の大太鼓が三日三晩にわたって打ち鳴らされ、24台の山車が鳥居の前を各々のリズムとテンポを保ちながら交差して、ささらと雅楽に先導されながら8基の神輿が白装束に担がれ、日没後と日の出前、灯りが落とされた町内を湯気を立てながら巡る。祭りが終われば街は灰になる。僕はことに、内蔵ごと揺らされる大太鼓の音が好きで、どうにもこの土地を離れられないでいる。

 5月4日の朝が来れば、いよいよ大太鼓が力強く響き渡る。
 オーライの声に導かれ、全力で振りかぶって打ち付けられる撥。内臓といっしょに近くのビルの窓ガラスがびりびりと揺れる。大砲のような音響に反比例して、近代的な街がしんと静まりかえり、神の声に草木が頭を垂れる。そんな様子を眺めて…どうしてなのかは自分でもよくわからないのだが…僕はぼろぼろ泣くのだ。いつまでもこの音に埋もれていたいと願うのだ。

 ピアノ・デュオ春の祭典、2014。
 開催が5月4日に決定と聞いて、僕は正直、少々切なかった。

 グラミー賞クラシック部門にノミネートされたZofo duetをアメリカから招聘し、国際的な舞台でも活躍する日本の代表的な実力派デュオが一堂に会する。この面々がよくも1日に揃えられたものだと、おそらく、企画した「連弾ネット」自身が驚いていることだろう。
 企画段階では東京公演しか決まっていなかったのこのイベントの大トリを仰せつかり、Zofo duetとDuo T&Mの2組のデュオを念頭に、僕は新たな2台8手の作品を作曲することとなった。
 アルバム「MIND MELD」にストラヴィンスキー「春の祭典」の連弾版を収録し、世に高く評価されることとなったZofo duet。一方のDuo T&Mも、2004年3月から1年4ヶ月に渡る連続リサイタルシリーズの最後に壮絶な演奏で披露した曲こそ、連弾版「春の祭典」だった。
 たかが10年前とはいえ、日本のピアノ・デュオはまだまだ冬も良いところだった。
 先見に充ちたこのシリーズを全面的に支え続けた田中一実氏は終宴ののち、燃え尽き、斃れた。半世紀にも満たない人生を閉じた。間もなく、彼を慕い続けた人々が中心となって「連弾ネット」が設立され、日本の多くのデュオたちが芽吹くこととなった。

 だったらイベント名も「春の祭典」でいいじゃないですか、春なんだし、祭典なんだし。と、洒落のようなことを言い出したのは、何を隠そう僕である。まさかそのまま採用されるとは思わなかった。
 
 1月が過ぎ、2月に入り。急ぎの仕事のかたわらで、チラシの準備、プロフィールの校閲。プログラムを確認すれば祭典の名にふさわしく重量級の十八番がずらりと並び、最後は文字通りの「春の祭典」だ。ストラヴィンスキーを聴いたあとの聴衆に何を聴かせれば良いものか。僕の名前の横に書かれた「委嘱新作」の文字。これがさっぱりわからない。春の遠いこと。五線の段数の多いこと。
 今年の冬はことに寒かった。
 ストーブを抱えて40本の指を持て余していた。僕の曲など、いっそ無くても演奏会は成り立つだろうに。タバコをくわえたり、かと思えば鉛筆をくわえたり。整えていない髪をぼりぼり掻きながら僕は夕方前のワイドショーを見ていた。かつて見たことのないほどの雪が、東京に積もっていった。

 「人生は祭りだ、共に楽しもう」
 そんな言葉で締めくくられる映画があった。祭りの果てに世界は灰となり、人は残酷にこの世に残される。しかしそれは、けやきの木々が青々と光を浴び、あたたかく優しい春に別れを告げて、全身で灼熱の夏を迎え入れる合図だ。僕は夏のはじまりを仙台から宣言してもらうことにした。
 ここに集うデュオたちと、主催・共催団体である「連弾ネット」「国際ピアノデュオ協会」「仙台ピアノデュオの会」とが日々舞台裏でやりとりしているメールの数々をここに公開するわけにはいかないが、それらは皆様にもお見せしたくなるくらい熱い情熱に彩られている。
 いったいどうして僕たちはこんなに燃えているのだろう。

 「音楽だからです。ただ、音楽だからです。自分でもよくわかりません」

2014年3月18日火曜日

愛のカタチ

 今回は序奏なしに主題から提示する。
 
 問題の円満なピカルディ終止のために、僕からひとつの提案をしたい。
 佐村河内氏。もしもあなたが世間に対し嘘をついた罪をつぐないたいと言うのなら、今後の人生すべてをかけずとも簡単に実行できる方法がある。新垣さんが著作権の放棄を会見で明言したように、あなたも、あなたの保有している権利を聾唖者団体や障害者団体に、そのまま譲渡しなさい。
 
 以上の主題を展開させていただく。
 
 以前「3つの提言」と題する記事を書いたが、もちろんこれらの提言は批判と皮肉をこめたジョークである。とは言え、僕とてジョークを言いたいがためだけにこれを書いたのではない。音楽と社会はどのように関わっていくべきなのか、ひとつの問題を目の前にして人と人はどのように協力していくべきなのか、それをジョークの形式で示したのである。
 あまり面白くなかったという意見に対しては、陳謝する。
 しかしこの事件は音楽の世界に起きた事件なのであり、創作は現にあったのであり、誰がなんと言おうと新しい作品が生まれた事実に変わりはない。新しい音楽作品とは、作品の価値の有無や出来の良し悪し以前の問題として文字通り人間社会の財産なのであって、それは人々にあまねく共有されるべきものである。ここを否定するようになれば、まさに我々音楽家の自殺だ。
 新しい作品が生まれることで誰かがひとりでも不幸になってはならない。現に、この事件では誰も死んではいないのだ。我々をオウム扱いされては困る。
 
 悪い商売に使われてしまったマンションを建てるのに汗水垂らしてコンクリを捏ねていた型枠大工は罪に問えるのか。僕から見るこの事件は、そういう事件である。演奏家たちは文字通り汗水垂らして練習していたのだから。しかし、建築士は自らを悔いて世に告発した。王様は裸なのに今まで黙っていた私は共犯者です。しかし彼は、その実、マンションを設計していたに過ぎない。なれば、悪い商売をやめて、新たに良い商売を始めれば良い。訳あり物件をわざわざマンションごとユンボで解体する必要はない。商売主である佐村河内氏が真人間になりさえすれば良いのである。

 主題を変奏しつつ再現する。
 世間を侮辱したのは音楽そのものではない。商売の手法が問題だったのであって、音楽はどこまでも音楽である。音楽が悪い商売に手を貸してしまったのなら、今からでも挽回は利く。今度は横浜の温泉付きマンションではなく、障害者たちの手元に、啓蒙活動のための資金が入るようにすれば良いのである。弾けば弾くほど障害者のためになるシステムを作れば良い。全聾と難聴の区別が人々の間につくようになれば、自然、今後はこのような事態が起こりにくくなるだろう。
 先天の全盲・弱視である僕の叔母夫婦は、日頃から中途失明・弱視者に向けたボランティアをしている。盲人が盲人のボランティアをしているのであるが、中途は弱視でも命に関わることが起こりうる。健常者の差し伸べる手よりも、生まれながらに見えない世界に住む彼らのアドバイスのほうが役に立つことは多い。これらのボランティアに少しでもお金が回れば、実に素晴らしいことだ。
 
 交響曲をはじめとするあれらの作品群は、僕の耳にもゲーム音楽の文脈として、新垣さんの言葉を借りれば「サブカルチャー」の文脈として聞こえる。しかし、サブカルチャーの文脈で交響曲を書いてはならないなどと一体どこの誰が決めたのだろう。あっても別に良いではないか。あの曲は、ゲーム音楽に親しんできた現代日本の聴衆のための、新垣隆作曲「青少年のための交響曲入門」である。実のところ、「祈り」だの「鎮魂」だの「闇から光」だのよりも、本当はさらに高い理念のもとに書かれた仕事である。
 僕は文春の「ヤマト」のくだりを読んで、新垣さんがこの技術を手にするまでの苦労がどれほどのものだったのかを思った。あそこは確かに「ヤマト」であった。僕にはどうしてもマーラーに聴こえなかったが、ようやく腑に落ちた。勉強になった。僕も仕事に応用させていただこうと思う。
 「ソナチネ」もまた、大事なヴァイオリンのテクニックが身につく練習曲として利用していけば良い。子供たちの発表会でも人気曲になるだろう。このようにして音楽熱を盛り上げていくうちに、作曲家もやりたいことしかやってないのに世間でも受けが良く、長く演奏されていくに値する作品というものが湯水のように沸き上がってくる。音楽の傑作は個人が作るのではない。人と人とが共同で作っていくものだ。僕も10年以上作曲家の看板を背負って生きてきて、身にしみて分かったことと言えば、それくらいだ。
 
 生まれたばかりの作品が傑作か駄作か。それを拙速に判断しようという姿勢こそが、そもそもの誤りなのだ。酒で言えば蒸留を終えたばかりである。まだまだ無色透明だ。原酒を詰めた樽が10年後、20年後に良質のウイスキーになっているのか。神のみぞ知る。樽がすべて無事とは限らない。腐る場合がある。きれいな琥珀色になった昭和の歌謡曲もある。酒は作り続けるということが何よりも大事だ。飲み続けることが大事だ。それこそが「愛のカタチ」というものだ。100年後の音楽は100年後の人間に任せれば良い。我々はどうせみんなきれいに死んでいる。
 
 佐村河内氏。今度こそ、あなたは音楽界の大恩人になるチャンスが到来しているのである。新垣さんはあなたと争うつもりはない。「この2人が世間の前で争っていることがそもそもおかしい」と言っている。僕の前でもいじらしいほど、あなたのことを一言たりとも悪くは言わなかった。
 あなたは正真正銘の名声を目前としていることに気付いてほしい。一時の利益を捨てさえすれば、あなたには何百倍ものものが返ってくる。その返ってくるものの大きさと、温泉付きのマンションと。どちらが大きいものなのか、よく考えてみてほしい。
 
 あなたも含め全員丸儲けの算段だ。悪い話じゃないと思うが、いかがか。

2014年3月8日土曜日

新垣さんのお礼文

 新垣さんからのお礼文を預かっている。
 
 つまり現在、僕は新垣さんと接触があるのだが、これについては詳しく述べない。誰の質問にも答えるつもりはない。暇だったら考えても良かったが今月はことに忙しい。ご理解を乞う。
 ただ、証明はできることを念のため申し上げておく。

 なぜ僕なのか。署名サイトの管理をしている手前、僕が預かったということだ。
 なぜ教え子ではない僕が管理をしているのか。特に理由はない。
 ただ、佐村河内氏には分からないだろうが、音大の学生たちはこの時期とても忙しい。試験があったり、海外に研修に行ったり。この問題に首を突っ込めば、ただでさえ貴重な時間が大人の都合に奪われる。優秀な彼らの親御さんに申し訳がたたない。僕はたまたま彼らと仲が良いのだが、幸いどこの音大の先生でも関係者でもない。いざとなればなんとかなる。つまり、自由がきいたわけである。
 やはり正解だった。なにかといろいろ対応に追われて大変だったから。
 それに学生たちも、新垣さんひとりのためだけに立ち上がっているわけではない。
 
 連絡があったのは先月2月25日以降だ。
 署名に賛同してくれた方々にお礼を申し上げたい。そのような申し出を受けた。
 そこでお礼文を預かったのだが、相談のうえ掲載を見合わせていた。理由は3点。署名サイトに掲載する文章は発起人一同の声明に限ったほうが良いであろうこと。世間を騒がせば新垣さんへの反感を強める結果になりはしないかと心配したこと。そして、謝罪文を発表してからしばらく、佐村河内氏の動向がまったく見えなくなっていたこと。彼は逃げるのではないかと僕は思っていた。もしそうなら、逃げようとしている者を追い詰めて、もしものことがあってはいけない。
 実は昨日の記事でも引用していたのが、その際にやりとりした新垣さんの考えを以下に要約する。これは3月5日のことだ。
 
 「私も彼の逃げ場がなくなることを案じています。ですから、逃げて解決するのであればそれでよいかもしれません。私にはわかりませんがいろいろと事情もあるのでしょう。私としては彼に、仕方のない嘘をついていないで、曲を世に広める情熱に嘘はなかったのだということを訴えて欲しかった。「HIROSHIMA」が1年をも費やして完成させた労作だとしても、売れないのが現実です。新垣は僅かなお金しかもらっていないと言われているけどそれは当然です。売れるかわからないものを5年もあきらめずに、ついに世に広めたのは彼なのです。どんなに非難を浴びようと、世間を欺いたことを謝罪したうえで、ゲームプロデューサーなどから出直す努力をして欲しかった」
 
 僕は新垣さんのほうの身上を心配していたのだが。
 しかし、僕はこれで新垣さんが交響曲を書いた理由がわかった。痛いほどわかった。
 趣味と異なる音楽であろうと、いつもと違う作風の作品であろうと、そんなことを彼は問題にしていないのだ(むしろ余計大変なくらいだ)。完成は03年。逆算すれば委嘱・着手は02年以前。佐村河内氏が手帳を手にしたのは02年1月。「現代典礼」は「HIROSHIMA」と勝手に改題され、「お蔵入りになった」と思っていたのに発表されて「驚いた」。抜粋の初演は08年9月である。大事な点なので、もう一度指摘しておく。ゴーストライターの是非が問題ではないことも指摘しておく。
 「共犯者」という表現を、僕は最初、彼の性格を知る者として、彼の文脈で理解し受け取った。しかし考えなおさなければならない。この言葉にはもっと深い決意が込められている。
 
 にも関わらず、だ。昨日の会見はあれは何だ。
 僕はあの程度の生半可な詐欺師が乗っ取れる業界であることに屈辱を感じているのだ。「てめえらが欲しがってる感動物語をくれてやったんだよバーカ!」ぐらい言いたまえ。何をしおらしく反省なんかしているのだ。「ポケットマネーで交響曲買ったことあんのかよ悔しかったら真似してみろや」と札束でペチペチ軽部アナの頬を引っ叩いたら、世間の誰が何と言おうと、僕は俄然、支持した。ここにも最大級の賛辞を書き連ねた。開き直る方向を完全に間違えて、あいつはなんという白痴なのか。せめて業界が乗っ取られるなら、もっと徳の高い悪魔のような詐欺師のほうが何千倍も良かったのに。屈辱だ。
 
 もともと公開を前提で受け取ったものだ。
 昨日のような喧嘩を売られては、こちらも黙ってはいられない。改めて了解を得たので、28日に受け取った「お礼文」を原文のまま、ここに掲載させていただく。


 この度私、新垣隆は、佐村河内守氏との関わりにおいて世間を大変お騒がせし、皆さまに多大な御迷惑、御心配を御掛け致しました。深く御詫び申し上げます。
 事件に関しましては諸々の報道の通りであります。そしてその様な中、私の学校の進退に関しまして、署名活動という形で皆さまの大変あたたかい励ましの言葉を頂いた事が、私にとってどれほど心の支えになったか知れません。
 皆さまの御理解、そして誠意ある言葉に対して、私は最大限応えねばなりません。
 学校の進退に関しましては、世間を大きく騒がせてしまった事、その中で(1)障害者詐称の幇助(2)それによって結果多くの人々の心を深く傷つけてしまった事―また特にその中に未成年者を含んでしまった事―の責任は免れないと思いました。
 2月17日に退職願を提出し、受理されました。皆さまには大変申し訳ない気持ちでいっぱいですが、どうぞ御理解頂けましたらと思います。
 それでも尚、私の音楽活動を認めてくださった皆さまと共に、今一度初心に戻り、一歩一歩、歩んで行きたいと強く思っております。今後共、どうぞよろしくお願い致します。
 本当にありがとうございました。
 
 '14 2/28  新垣隆

 退職願が受理された今、署名サイトも本来の意味を失ってはいるのだが、これも相談のうえ、今はこのまま残す方向で合意している。本来の意味ではない別の意味で、改めて署名へのご協力を皆様に願う次第であるが、最後に僕の今の切なる気持ちを一言だけ申し上げたい。
 
 てめえら作曲ナメてんじゃねえよバーカ!

2014年3月7日金曜日

ほんとうの嘘

 作家とは正真正銘、本物の嘘つきなのだ。
 
 かぐや姫は本当に月に帰っていったのか。カルメンとホセは本当に刃傷沙汰を繰り広げたのか。孫悟空や亀仙人やピッコロや魔人ブウは本当に実在するのか。見てきたような嘘を作品にして、「この作品はフィクションです。実在の人名・団体・事件などには、いっさい関係ありません」と断った上で、読者や聴衆に渡すのが作家の仕事だ。根っからの大嘘つきである。
 しかし、それらを嘘だと罵る人など世界中どこを探してもいまい。すぐさま嘘と理解でき、しかも人々の共感を呼ぶ「すてきな嘘」「面白い嘘」でなければ、作家は評価されないのだ。
 マンガ、漫才師や芸人の舞台は言うに及ばず、虚構新聞が愛読され、楽器の弾けないゴールデンボンバーがエアバンドを名乗って音楽をしている。現代社会の我々も「嘘を楽しむ文化」とちゃんと心に保っている。大衆に深く根付いている。それは寛容性であり、社会の豊かさの証左だ。嘘つきは泥棒のはじまりという。瞬時にばれる嘘をつき、しかし騙して、人の心を盗むのである。そのために作家は肉に秘めたる虚構を一滴残らず作品に注ぎ込み、自分に厳しく、嘘偽りなく、上を向いて技術を磨き、どこまでも誠実に生きていかねばならぬのだ。なんと因果な商売であろう。
  
 今日の会見を見て、やはりイライラした。
 佐村河内氏に対してはもちろんのこと、マスコミに対してだ。
 
 新垣さんの会見から1ヶ月もあった。
 この騒動の問題点を何も考えていなかったのか。何もまとめていなかったのか。彼の聴力を確かめたところで何になる。あなたたちの今日の仕事は、どう評価しても最大で「少々耳の遠い50歳の変なおっさん」を社会にひとり生んだだけだ。そんなおっさん、僕にはまったく興味ない。
 おそらく、あなたたちの質問が違えば、彼の答えはそれに従って丸切り変わったことだろう。耳の問題を執拗につついて、耳の問題をこじらせたのだ。空気を読む国のマスコミならば「聴覚障害には該当しない」のペラ紙一枚ですべての空気を読むべきだった。
 責めどころさえ替えれば、この騒動から世間も教訓を受け取れたはずだ。
 だいいち、仮に彼の難聴を証明したところで、彼の行動は結局アウトである。
 いずれにせよ3年前から聞こえていたなら、あのドキュメンタリー番組の「全聾」は嘘である。作曲に行き詰まって壁に頭をぶつけたり、海に入ったり。これらはもちろんすべて嘘である。結局のところ、目の前にある美味しそうな嘘にとびつき喜んでともに生産していたに過ぎない者たちが、こぞって50歳の変なおっさんひとりをいたぶりなぶったところで何になる。「被災地への思いは本物でした」と変なおっさんに言わせて被災地が喜ぶとでも思っているのか。
 要するに、あのおっさんを壁際に追い詰め遊んでいただけだ。面倒くさい問題の責任をひとりに押し付けて。だから「名誉毀損」などと余計なことを言い始めることになる。
 
 しかし、これについては、今はここまでにしておこう。
 
 社会に許され、しかも喜ばれる嘘。社会に許されず、人を怒らせる嘘。
 「これは嘘ですよ」と渡して、しかも相手を喜ばせるのが、ほんとうの嘘というものだ。それに引き換え、「本当ですよ」「実話ですよ」「嘘ではないですよ」と言わねば人々に受け取ってもらえぬような嘘など、結局のところ生半可なのである。嘘つきとしての覚悟が足りないのである。そんな中途半端な嘘に世間が騙さたのは何が原因か。それは、ほんとうの虚構、ほんとうの嘘が大事にされてこなかったということである。ほんとうの嘘を生み出すべき芸術が、その役割をまったく果たしていなかったということである。
  
 実際にあのドキュメンタリー番組を見ていたら僕も違ったのかもしれないが、しかし昨年4月に人づてに聞いて僕が面白いと感じたのは、「全聾」の部分ではなく、「ゲーム音楽出身の作曲家」が「交響曲」を書いたということだった。日本のゲーム音楽文化もひとつの交響曲を編めるまでに成長したのか。ゲームの画面を抜けだして純粋に音楽だけを書いてみたいという作曲家が現れたのか。実に結構なことではないか。ますます音楽は盛んだ。そう思ったのである。
 しかしそれでも、売るためには中途半端な嘘に頼らざるを得ない現実だったのだ。
 予定されたもののためならともかく、売れるか売れないかわからないもののために、「未定」のために100万単位の身銭を切り、大の大人が1年もかけて書いた労作を5年もの歳月をかけ、ついに世に広めてしまうような熱意のある人間は、この業界の今現在にあるのだろうか。ほんとうに彼を馬鹿にできるのだろうか。交響曲を委嘱した当時の彼より情熱に満ちていると誰が言える現状なのか。嘘をつかなくても交響曲を発表できる音楽文化があるほうが良かったのではないか。
 別に彼はダニでも良かろう。世間はそうしてもてあそぶのが良かろう。しかし、そんなダニにぬくぬくたかられる業界だとは、いったいどれだけ我々は間抜けだったのか。今日の会見程度のおっさんが魅力的な人間に見えるほど、我々には魅力がないと世間に言われたようなものだ。悔しくないのか。
 要するに、芸術音楽家の怠慢が呼び寄せた騒動に他ならない。
 僕は今日の日を、音楽家のひとりとして、強く恥じている。

 佐村河内氏には一点だけ言っておきたい。
 僕は10年ちかく前から思想と技術の変遷と要請によって自分の創作の主眼に調性をわざと選んでいるが、あなたの後を追った記憶もなければ、あなたの後を追う予定もない。業務妨害であなたを訴えなければならなくなるので、音楽的な部分については余計な口をつつしんで頂きたい。そもそも、あなたは音楽家でも何でもなく、ただの変なおっさんなのだから。