2014年2月12日水曜日

謝罪文を読む

 恐れ入った。役者が上だ。
 
 さすが世間をよくご存知でらっしゃる。天才的だと思う。
 謝罪文を読む。長年嘘をつき続けるとベテランの域になる。それで生きてマンションまで買ったのだから、もう立派なプロである。「継続は力なり」だなあと妙な言葉を思い浮かべた。この騒動の起きた後にYouTubeで彼の作曲に苦悩する演技を初めて見たが、カメラが向いてあれが出来れば、たいそう根性が座っている。素人の仕事ではない。やれと言われて出来るものではない。
 海に浸かって曲が浮かぶなら僕もやってみようか。
 彼の処遇は、もう世間にお任せしたほうがよかろう。
 
 だがその前に、新垣さんの名誉のために、もう何点か補足したい。
 それは、「18年間ゴーストライターをしていました」というセンセーショナルな表現を、少し考えたほうがいいということである。これを「18年間も世間を欺いていた」(新垣さんに近い人は「18年も佐村河内氏に脅されていた」)と人々は受け取ったわけだが、もしかしたらこの表現に、結果、世間は欺かれているかもしれないからだ。

 1. 

 最初の仕事は「佐村河内氏が持ってきたメロディをオーケストレーションすること」だったと会見にあった。これは、僕はごくふつうの、2万から3万、3万から5万のような仕事として受け取る。ゴーストライトという考えすら浮かばないし、この仕事に関してクレジットを要求しなくても、僕の感覚では不思議ではない。ここも含めて18年間のゴーストライトと言うのであれば、それは違う。

 2.

 今ではすっかり有名人の佐村河内氏だが、18年前の1996年。新垣隆を知る人はけっこういても、佐村河内守を知る人は(少なくともクラシック界には)ひとりもいなかった。テレビを見ない僕が彼の名前を人づてに聞いたのも、昨年4月が初めてだった(新垣さん本人もその頃だったようである)。少なくとも「3年くらい前」までは、業界では全くの無名だったと言える。
 
 3.

 新垣さんは、ゴーストライターという職業・役割そのものを告発したのではなく、佐村河内氏の耳に関する虚偽、およびその商売の手法を告発したものだと僕は考えている。「現代典礼」が「HIROSHIMA」になったその瞬間、たった1個の嘘が世間に投下されたのだと僕は考えている。
 池に小石を投げ込んだように、世間に波紋が広がっていった。
 その石は誰がどのようにして投げたのか。
 
 だが、悪者一人を成敗して一件落着という結末を僕は好まない。
 彼の登場をこの業界に許したのはなぜなのか。佐村河内氏の詐欺商法が社会問題だったのに、どうして奇妙な芸術論争になっていったのか。新しい交響曲のスコアは現にあった。それを「偽物」と判断するための根拠や理由はどのようにして得れば良いのか。
 僕のあの交響曲に対する解釈は実に簡単だ。
 「100%佐村河内氏好みを交響曲を、新垣さんが100%の力で書いた」である。「書いて欲しい」「こんなのがいい」と言われれば、僕だって全霊でそれに応える。80分の大編成を埋めるなど、どんな破格の天才だって片手間の仕事ではない。嘘では到底埋められない。
 「現代典礼」が「HIROSHIMA」として発表されて、本当に広島への想いを込めて演奏した演奏家も少なからずいただろう。その彼の想いは嘘になるのか。そんなに弾きやすそうな曲ではない。演奏家たちはかなり大変だっただろう。その練習の労力は、嘘なのか。
 芸術における真贋とは何なのか。
 それはいったい誰が決めるのか。
 
 ひとつの嘘が崩れて、なにもかも嘘に見られている。
 
 腹をくくった「音楽バカ」の問いかけは、想像以上に重いだろう。