2013年4月19日金曜日

4月号「ロッシーニの餃子」補遺

 月刊「音楽現代」の連載が始まってからというものの、サイトのアクセス数がほんのりと伸びているようである。僕は(若干くどい顔と派手目な私服に反比例するかのように)地味な活動しかしていないものだから、おそらく僕の音楽をご存知の方も多くはないだろうし、読者の皆様が「こいつは何者なのだ」と、あのふざけた文章を読んでお思いになられ、検索してくださった結果なのだろうと思う。恐縮である。
 そんな方々に、あまり考えずに書いていた古い文章を読ませるのも忍びないと思い(それに、今後の連載で使えるネタを見られるわけにもいかないし)、長いこと放っておいたそれらを削除し、ここに新しいブログを用意することにした次第である。という趣旨の文章を前回の投稿でアップするつもりだったのに、ついつい別の記事を書いてしまったのも僕の性格の散漫さゆえなので、どうか何とぞご容赦ください。
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 さて、本誌「音楽を食う」は、ご覧になった方はすでにご存知のように、料理についても、テーマになった作曲家についても、さほど深くは触れていない。ロッシーニを知りたい人にはそのための本はすでにあるし、餃子を知りたい人にも同様に本がある。僕は音楽の研究者でも料理研究家でもなく、ただのひとりの作家であるので、それらの著者としてふさわしくないと思えるだけの自戒は持ち合わせているつもりである。
 作曲家と料理の関連は、初回「ロッシーニの餃子」にしたためた通りである。ロッシーニの美食がらみの事柄だけを書いていけば、とうぶんの原稿は埋まったことだろうし、(僕の力では探し出せなかったが)リュリあたりが毎日の献立日記でもつけていてくれたら、そしてそれを連載の記事にしたとしたら、それはそれで価値ある読み物にもなったことだろうとは思うのだが、その著者は僕ではないぐらいのことは分かっている。
 だいいち、僕自身がその話に興奮しない。
 どうにもあのご時世の豪華な食事は、僕の胃袋には重すぎる。食欲がそそられない。茶碗一杯のごはんとみそ汁と漬物があれば、僕の食生活は充分に成り立つ。作曲中はほとんど三食たぬきそばしか食べない。僕の場合、料理はあくまで人をもてなしたいからするものであって、ロッシーニのように、自分が食べる分のフォアグラやトリュフのために、作曲を捨てたいとはどうしても思えないのである。
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 ロッシーニは、なぜ作曲を捨てたのか。
 ロッシーニの人生はロッシーニの勝手なのだから、後世の僕がとやかく言うことでもないことぐらいは分かっている。かく言う僕の人生だって僕の勝手なのだから。でも、彼のあまり知られていない室内楽作品などを聴くと、天性の才能を見せつけてくるアイデアに満ちあふれているし、楽器の使い方にも学ぶべき点はたくさんあるし、彼は厨房に立たずとも何でもできる本物のシェフだったのに、悲しくなるのだ。どうしても、彼の価値がフォアグラやトリュフより低いとは思えないのに、彼のような音楽家が食ったら無くなってしまう「食」に走ってしまうだなんて。
 再評価の機運が高まっている現在とはいえ、彼をとりまく今日の悲しい現実は、しかし8割以上は彼自身の責任である。もしも作曲を辞めなかったら、彼は音楽史にとってさらに重要な作曲家になったことだろうと思う。
 同じようなことは、マリア・カラスにも言えるかもしれない。
 腹にサナダムシを飼ってまでしたダイエットは効果がなかったという話であるが、それはそうだろう。ただの寄生虫だから。しかし、「美」に対して執着を燃やしていた確たる証拠には違いない。事実、痩せ始めてから彼女の没落は始まるわけで、いろいろな憶測が様々に沸き立っているけれど、減量が彼女の没落の最大の原因だっただろうと思う。
 音楽家であれば、わずかな体重の増減が自分の音楽に与える影響を肉感的に知っている。僕でさえ知っている。いちばん痩せていたときは自分の腕の力を胴体が支えきれなかった。贅肉を贅なる肉とはよく言ったものである。ゴージャスな肉襦袢は音楽にどうしても必要なものなのだ。それに彼女だったら、ピーク時の2倍の体重があったとしても、舞台上ではしっかり肺の病で死んでくれただろうに。
 もっとも、彼女が「美」を選んでくれなかったら、見れなかった世界はあった。パゾリーニの映画「王女メディア」で「すべては終わったのよ」と吐き捨てる凄味は、カラスの他に誰が適当だっただろうかと言われると、思いつかない。でも、音楽史としては、やはり彼女には健康を保っていただいて、長寿を得ていただいて、老境の彼女にしか歌えない境地を遺してくれたほうが、よほどありがたかったのだが。
 されどカラスの人生は、カラスの勝手なのである。
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 閑話休題。
 「音楽を食う」についてであるが、これはひとつの確固たるコンセプトをもって今後も連載を続けていく。そのコンセプトとは、クラシック音楽の予備知識をまったく持っていない読者を笑わすための文章にすることである。
 幸い、イラストを担当している緒裡君は、僕の個展以外のコンサートらしいコンサートには一回も行ったことはないので、この彼をターゲットにすれば良い。ぬか床の樽に老いたブラームスを突っ込んだのは彼のアイデアで、つまり彼の属性も僕と同様に(黙ってさえいれば、実はアイドルのような顔立ちをしているくせに、残念ながら)お笑いである。なのでこちらも本気でボケることができるのである。
 クラシックの予備知識を持っていない読者があの雑誌を読むかどうかは知らないが、しかしクラシック入門編のような文章にする気は、全く無い。様々な音楽が現れては消えて、それでも残ってきた音楽、これからも残っていくであろう音楽はどうして淘汰されないのか(それは「面白いから」に決まっているのだが)。著者が勝手に選ぶ「聴きどころ」なんぞ誰が読んだって飽きる。人によって感性のツボは違うのだから当たり前だ。それよりも、これらの音楽の根元の部分を、いま生きている人間であれば誰にでも分かる言葉で書くことによって、表現したかった。
 そのために、料理は、ちょうど良い材料だったのである。
 当初は音楽雑誌に花を添えるちょっとした料理のレシピ集にするアイデアを担当のXさんも僕も持っていたのだが、どう考えても作曲家のレシピ集なんて誰も求めていない。現在のクラシック業界に必要な努力は、原液をうすめたジュースを量産することではない。むしろ、濃い玉露の一滴を、相手の顔色をうかがうこと無く黙って差し出すことにある。この音楽の魅力を、笑いのフィルターを通すことで、誰にも飲みやすい薄味のジュースにするのではなく、コテコテに濃いエキスにしようと思うのである。
 いざ始めてみると、これは予想していた以上にとんでもなく手間のかかる作業で、むしろレシピ集を書くほうが楽だったのだが、しかしそれは誌面でやることではない。僕が個人で料理教室を開けば良いだけの話である。そんな副業はいつだってできる。誰がなんと言おうと、ぬか床には毎日新しい空気をいれなければならないのだ。それを怠れば、ぬか床は、死ぬ。僕も、もう少しは暴れても良いのかもしれない。
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 ということで、このブログ上で注釈をはさみつつ、連載していきます。
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 本当は、「ビアードパパ」の店頭で売られているラスクを見て、ボツにした文章の使い回しはできないものかなあ、と思って、このブログを開設したことについては、くれぐれも内密の方向で。